哀愁がありすぎた川崎
テリーが手を振ってくれた
アラフィフです。否、ジャストフィフです。
バカみたいに野球が好きです。
他の事をしながら見られるところが好きです。
サッカーだとそうは行きません。トイレに行っている間に点が入った。なんてよくある話だと思います。
勉強しながら、単語帳見ながら、ご飯食べながら、親兄弟とベラベラしゃべりながら野球見ていました。
小学生のときに西武球場へ行ったことがありまして、芝生席に感激しました。
割と間近に選手が見れて、「テリー」ってデッカい声で呼びかけたら笑顔でテリー選手が手を振ってくれたのを覚えています。
それが、野球が好きになった理由かもしれません。
昔は、川崎を本拠地としているチームとヤクルトが好きでした。
ヤクルトについては別のところで書きます。
観衆500人
川崎のチームは、毎朝新聞を見ると「観客500人」ということすらある、全然お客さんが入らないことに憐憫の情が湧いていました。1000人や1500人が普通で、1万人を超えると「なんか事件でもあったかな」と心配になるくらいでした。
当時は大阪にある南海ホークスも500人ということがありましたが、川崎のほうは村田兆治というスーパーエース、落合という三冠王までいるのに観客が入らない。首位打者になった選手が電車で球場まで通っているのに誰も気づかない、というすごいチームでした。
たまに「風で中止」ということもあったように記憶しています。風が強すぎて砂煙で前が見えなくなったためです。
夢を奪った10.19
本当に弱いチームでした。
それが象徴されたのが、当時社会現象にもなった「10.19」です。
その年は近鉄バッファローズが西武ライオンズと激しい優勝争いをしていました。
最後の2試合は「ダブルヘッダー(1日2試合)」として川崎球場で行われました。川崎球場は超満員。たぶん95%以上が近鉄ファンで埋まっていたと思われます。本拠地のチームはめちゃくちゃ肩身の狭い思いがしたと思います。この試合で近鉄が2試合とも勝てば逆転優勝。しかし、1試合でも引き分ければ西武が優勝します。
1試合目は近鉄が勝ちました。迎えた2試合目。
もうその時には、「もういい。勝たなくていい。近鉄優勝しよう」という気持ちでした。西武ばかりが優勝していて、近鉄にとっての優勝はまさに「悲願」だったのです。
しかし、こんな試合に限って、頑張ってしまいました。
春先に期待されて入団した外国人選手・マドロック。しかし蓋を開ければ単なる「三振王」で打率(たぶん)167なのにまだレギュラーだったマドロック(こんなに打率が低かったのにレギュラーで使わざるを得ないほど、チームは弱かったのでしょう)。彼が、こんなときに限ってホームランを放ってくれたのです。「なんで今打つかな? 5月や6月に打ってくれよ」と声に出してしまいました。
大接戦で終盤を迎えました。久米宏さんのニュース番組が、大事なニュースを伝えずにすっ飛ばし、もつれにもつれたこの試合を放送し続けたのは有名な話です。「英断」でした。
しかし、延長で起きたあるプレーに、有藤監督が猛抗議。
規定の試合時間が迫るなか、抗議の時間が長引き、球場が異様な雰囲気になっていくのがわかりました。
正直言って抗議をする意味がまったく分かりませんでした。単なる時間稼ぎにしか思えませんでした。
で、その結果、ついにこの試合は引き分けに終わり、近鉄ファンで埋まった球場は静まり返りました。記憶しているのは、その日試合がなくて西武球場で待機していた西武のメンバーが監督を胴上げする映像でした。
翌日学校で、近鉄ファンだった友人に叱られました。素直に「ごめん」と謝りました。
ついに日本一になった
しかし、あまりにも客が来ない事はチームにとっては死活問題です。打開策として、本拠地を千葉に移し、名前も「マリーンズ」に変わりました。千葉県初のプロ野球チーム誕生です(マンガでは千葉パイレーツがありました→愛読者。千葉パイレーツ、好きなチームでした)
するとチームはガラリと変化。応援も増え、バレンタイン監督が日替わり打線を組むなど新しいイノベーションを起こし、日本シリーズでは阪神に4連勝してついに日本一に。
うれしかったのですが、その瞬間、逆に熱が冷めてしまいました。「もう私が応援しなくてもいいだろう」と。
以降はずっとヤクルトのみのファンです。
強いチームは応援しなくなってしまう
私は北多摩地区に住んでいますが、後楽園球場よりも西武球場の方が近いこともあり、西武ファンが多いです。西武は広岡監督、森監督のもと、秋山・清原・デストラーデ・石毛というおそろしすぎる打線にすごいピッチャーも揃い、「超黄金期」でした。ピッチャーの中では郭泰源と塩崎に驚きました。郭泰源のスライダー、塩崎のシンカー。「なぜあんなに曲がる?」と。
ただ、強すぎたので、「別に私が応援していなかろうと優勝するよね」という気持ちでした。
ヤクルトものちに優勝争いをするチームに変貌します。が、それで熱が冷めることはありませんでした。
その理由については次の機会に。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。