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武道家シネマ塾⑩ 父が観て、僕が観た『椿三十郎』
この記事は、以前”言葉とたわむれる読みものウェブ”BadCats Weeklyに寄稿したテキストの再掲となります。
僕の父は武道・格闘技と映画が好きで、僕が武道家兼映画ライターになったのは、そんな父に育てられたからだ。
中学生になった僕は、サッカー部に入った。サッカーには1mmも興味はなかったが、なんとなく女の子にモテるような気がしたからだ。
剣道の有段者であった父は、
「そんなチャラチャラしたスポーツやらんと、武道をやれ武道を」
と、事あるごとに言っていた。
時代は『ビー・バップ・ハイスクール』全盛期で、例に漏れず僕の中学もめちゃめちゃ荒れていた。
窓ガラスはすべて割れていた。トイレの個室のドアはすべて壊されていた。廊下をバイクが走っていた。それを咎めた先生は病院送りとなり、視力が落ちたと聞く。
それ以来先生方も見て見ぬふりとなり、ますます無法地帯となった学園において、まず自分の身は自分で守る必要があった。爽やかにシュートを決めて、女の子にキャーキャー言われている場合ではなくなった。強くならねばならない。実際にキャーキャー言われたことは一度もなかったので、サッカーを辞めることに未練はなかった。
僕は空手の道場に通い出した。父は満足そうだった。
同じくその頃、映画も観るようになった。今になってカミングアウトするのは大変恥ずかしいが、なぜか大林宣彦にハマり、『時をかける少女』や『さびしんぼう』のVHSを何度も観た。当時はまだ、「黒歴史」という言葉はなかった。
(一連の大林監督の“尾道もの”は、20歳を過ぎると気恥ずかしくて5分と観られない。中高生限定の名作である。初見が中二病の頃で本当に良かった。“大林宣彦的なもの”を大人の鑑賞に耐え得るものにしたのが、新海誠監督の作品だと思っている)
「そんなチャラチャラした映画やなくて、こういうのを観んかいな」
と、父が渡してきたVHSが『椿三十郎』だった。
その時テレビ画面の『時かけ』はちょうどクライマックスで、原田知世が「土曜日の実験室ー!」と叫びながら、タイムリープするために崖から飛び降りるシーンだった(ちなみに『時かけ』という略称も、女の子の前でサラッと使った際には『キモっ!』て言われた)。
とにかく原田知世を観ていたい僕に構わず、父はいかに『椿三十郎』が面白いかを語り出す。
「あのな、この映画は白黒やけどな、ラストの三船敏郎と仲代達矢の決闘! その決闘シーンで噴き出す血ぃだけが、赤く色付けされてんねんぞ!」
ほう。20年以上も前の映画なのに(当時)、そんなおしゃれな演出がなされているのか。僕は少しだけ、黒澤明という監督に興味を持った。
『椿三十郎』。1962年公開。監督、黒澤明。主演、三船敏郎。
もうあまりにも面白くて、中坊の僕は度肝を抜かれた。
冒頭。神社の社殿で9人の若侍たちが、なにやら密談をしている。どうやら家老たちの汚職を告発しようと思っているようだが、青臭い正義感や使命感で机上の空論をぶつけ合うばかり。
たまたま奥で眠っていた浪人風の男・椿三十郎(三船敏郎)が、「もう青臭くて聞いてられん!」とばかりに、話に噛んでくる。
おそらくこの若侍たちは、お坊ちゃん育ちで世間知らずのお人好し。案の定、味方になってくれると思った大目付の罠にはまり、多勢に取り囲まれてしまう。
とりあえず若侍たちを隠した三十郎は、その役人たちを次々と峰打ちで倒し、「もう関わってしまったので仕方なく」彼らを助ける。
そのまま立ち去ろうとする三十郎。だが、命を救われたばかりの青臭侍が、三十郎がいなければ死んでいたであろう青二才が、いっちょ前に宣言する。
「こうなったら、死ぬも生きるも我々9人……」
「10人だ! テメーらのやることは危なくて見ていられねーや」
もう、ただただ三船敏郎がかっこいい。
ふところ手で顎髭を撫でるしぐさ。肩をそびやかして歩く後ろ姿。「俺の名は椿三十郎。もうそろそろ四十郎だが」の持ちネタ(『用心棒』でも使用)。若侍役の加山雄三や田中邦衛を(撮影中に生意気だったから)本当に殴る姿。碁盤の上にチョコンとあぐらをかいて、その若侍たちを説教する姿(あざと可愛い)。そして、淀みないが洗練され過ぎていない無骨な殺陣。
この作品の三船に憧れない男子とは、うまい酒が呑めない。
前作『用心棒』に引き続き、ライバルを演じるのは仲代達矢。前作では、首に仮面ライダーみたいなマフラーを巻いたピストル使いのヤクザという、時代劇とは思えないようなキャラだった。今作では、ちゃんと月代を剃ったれっきとした侍だ。
その仲代演じる室田半兵衛と三十郎は、お互いに敵同士でありながら、認め合っている。酒を酌み交わしながら半兵衛が三十郎を仲間に誘う姿は、今で言えば煉獄さんと猗窩座のようである。
それでも、最後は決着をつけないと気が済まないのが剣士である。絶対いい友達になれるんだから、剣の優劣なんかもうどうでもいいじゃないか。三十郎も言っている。
「俺はやりたくねぇ。抜けばどっちか死ぬだけだ。つまらねぇぜ」
それでもやってしまうのが、剣士としての“業”である。
刀の柄に手をかけ、にらみ合うふたり。刀を抜けば確実に相手を一刀両断できるような、そんな至近距離でのにらみ合い。先に不用意に動いた方が負ける、そんなピリピリしたにらみ合いが、またえらく長い。それをワンカットで撮っているので、観ている方が緊張感に耐えられなくなる。こっちが「もう無理だ!」と思った瞬間、ふたりは同時に刀を抜く。
三十郎の居合が、一瞬だけ速く半兵衛を斬り裂いた。
高々と血しぶきが上がり、半兵衛は目を見開いたまま、ゆっくりと倒れる。
どこまでも脳天気な若侍たちが駆け寄り、口々に「お見事でした!」とかのたまう。三十郎は一喝する。
「気をつけろ! 俺は機嫌が悪ーんだ!」
根無し草の三十郎は、おそらく行く先々で「行き掛かり上」、多くの人間を斬っている。その中には、敵として出会わなければ、いい仲間になれた人間もいただろう。今、斬り殺したばかりの室田半兵衛のように。
おそらく、まだ一度も人を斬ったことのない若侍たちには、三十郎の気持ちはわからない。
ところで、例の「そこだけ赤い」血しぶきだが、普通にモノクロだった。真っ黒な血だった。だが、父が噓をついていたとは思えない。父には、「鮮烈に赤い」血しぶきに見えたのだと思う。
実は“策士”の三十郎に比べ、この室田半兵衛はまっすぐな侍だ。この男にドス黒い血は似合わない。美しさを感じるぐらい、「鮮烈に赤い」血でなければならない。
だから、父の記憶は正しい。僕の記憶も、そのうち書き換えられていく。
「あのな、この映画は白黒やけどな、ラストの三船敏郎と仲代達矢の決闘! その決闘シーンで噴き出す血ぃだけが、赤く色付けされてんねんぞ!」
年々父に似てきている僕は、あの頃の父と同じ口調、発声、声質、表情、姿勢で、人に『椿三十郎』を薦める。
「血ぃ黒かったやん!」という輩は、修行が足りない。まだ若侍である。
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