『ラブセメタリー』
考えさせられる本が好きだ。
ラブセメタリーは、そんな本だった。
セメタリーとは直訳すると墓地。愛の墓地とはどんな気持ちで木原さんはタイトルをつけたのか。テーマはペドファイル。幼児を性的欲求の対象とする小児性愛のことだ。
精神科の看護師として働いているゲイの町屋智は、診察に来た久世圭祐と出会う。久世は、「大人の女性を愛せない。僕の好きな人は、大人でも女性でもない。」という。久世は、ペドファイルであった。自分が頭の中で男の子を犯す妄想が、現実の罪となり、犯罪者になることを恐れている。
性的嗜好とは、人間の性的行動において、何に性的に惹かれるのかという好みのことだ。同性、異性、大人、子ども。大人には感じない、子どもにしか欲情しない。そんなの産まれた時から罰ゲームだと、町家の友人は言った。
町屋はひょんなことから、病院の外で久世と知り合う。ふわっと甘く、ほんのりスパイシーでエキゾチックな官能的な香り。背が高くて、スタイルが良く、質の良いスーツを着ている久世に惹かれる町屋の気持ちもなんとなくわかる気がした。
性犯罪の中でも、小児性愛は難しい。前科があり、成人にも興味があるけど、幼児へのわいせつ行為もするという加害者だと犯罪に対する抵抗感があまりなく、単に力が弱いという理由で選んだ可能性も高い。そのため、子どもにしか欲情できないタイプとはちがう。
しかし、本人が犯罪とされる行為に走らない限り、子供を好きでいることは犯罪ではない。頭の中で何を考えていたとしても。自分の頭の中まで他人の価値観に支配されるなんて、生き地獄そのものだ。
久世は、ゲイとペドは同じマイノリティだが、自分と比較して、町屋は自分の方がましだと思ってると言う。子どもが好きだと知られると、犯罪に結び付けられる。人並み以上に気を遣い、自制して、何もしなくても。マイノリティの中でも立ち位置は低いと。同じ船に乗っているつもりかもしれないけど、僕と君は違うと言う久世はいままでどれほどの苦しみを味わったのだろうかと考えると心が痛かった。
子どもは成長する。成長過程の一瞬しか愛せない。大人になったら愛せないなんて、自分自身の問題なのだろうか。
どうして子どもに欲情するんだと思う?生まれてから一度も、僕は子どもに欲情する人間になりたいと願ったことはない。望まないのに、永遠に結ばれない子どもと愛し合いたいと思うのは何故だと思う?
どうして君は、子どもを愛する大人にならなかったの?君が僕のような、子どもを愛する人間になったってよかったはずだ。その采配は誰がしてるの?
君はいいよね。最初から子どもを性的な対象として見てないんだから。犯罪なんて絶対に起こしたくない。家族には死んでも迷惑をかけたくない。でもどうしてこんな努力をして、気をつけないといけないの?
子どもにしか欲情しない人間にならなかった幸運をみんなもっと享受するべきだ。
久世の言葉が、ぐさぐさと心に刺さるのを感じた。生まれ持った嗜好、病気、顔、環境。その采配は誰が決めた?世の中にはきっと久世のような人間がいる。自分がならなかったのは何故か。自分がそうだったらどうしていただろうか。考えたこともなかった。
一方で、同じペドフィリアでも森下伸春は久世と対照的に描かれている。森下は幼き頃、3歳の富士子という親戚のお世話をしていた。富士子はよくお漏らしをした。森下はパンツを洗い、手拭いで陰部を拭いてやった。そして、それが続く内に堪えきれず、指先で割れ目に触れた。女の子の隠部に触れることが、厭らしく、やってはいけないことだと肌で感じていた。
中学になり、高校に上がっても、森下は同世代の女の子に興味が持てなかった。胸や尻が突き出た生々しい女の体よりも、小さくて薄っぺらい体に目がいく。卒業後、教師になった森下は生徒である10歳のさくらを気にかけるようになり、愛し合うようになった。
しかし成長とともに、愛する人の変化を受け入れられない自分と継続しない愛情。子どもに性的欲望を抱くのが愛情の如何ではなく、生来の嗜好だと知るまでは、自分自身の感情の変化を理解できずに苦しんだ。
富士子やさくらのように本当に愛していると思っても、成長したら愛が薄れる。子どもは成長し、時間は止まってくれない。どうして自分は子どもだけなんだろう。子どもに欲情する自分は精神的におかしいんだろうか。富士子とさくらへの愛、それは本物の愛だったんだろうか。それともただの性欲だったんだろうか。考えても考えても、答えなど出ない。誰も教えてくれない。
初めての海外旅行で、森下は小さな売春婦を買った。自覚ある唯一の過ちのはずだったが、一度吸った蜜の味は忘れられなかった。セックスの官能は薬物中毒のようで、一歩踏み込んだ先はぬかるみ。壊れた倫理観と共にズブズブと沈んでいく。
先天的な嗜好、妄想から現実になることを怯え続けた久世と、後天的な現実での接触から生涯犯すことをやめられなかった森下。どちらも深い森の中を彷徨うような行き場のない感情と苦悩が痛々しくも生々しく描かれた作品であった。マイノリティの生きづらさ、自分の性的嗜好を見つめ、正しさとはなにかを考えさせられる。自分の考えや価値観、嗜好があたりまえではないこと、マジョリティに属する誰しもがマイノリティになる、又はそうであった可能性があることを忘れてはいけない。