【詩】 脳内旅情 〜この夏のふりかえり、あるいは雑文〜
脳内旅情
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
…と思へどもそれすら遠き望みとなりし今は
せめて新しきるーぶる柄の丁襯衣をきて
録り貯めしふらんすの映像をくりかえし観ん。
いつかまた彼の地へと願ふ心まかせに。
◇・・*・◇・*・・◇
不定期に、突如として、外国語に溺れたくなる発作、というものがありまして。
7月、8月の私は「英語をなんとかしたい病」と重度の「ふらんす行きたい病」に罹患しておりました。
ここ数年、海外に特にフランスに行きたい、という願いが叶わずに、時折かつてのノートルダム大聖堂やルーブル美術館を夢に見る私。
コロナ禍で、渡航がますます絶望的に思われ、ルーブルのドキュメント番組の録画を見ては溜息をつき。。。
この夏はユニクロの"ルーブル・コラボ"UTを大人買いする暴挙に出ました。
折しも大河ドラマ「青天を突け」はパリ編が佳境に。
そしてオリンピックの中継が始まって。
流れて来る英語とフランス語に、胸の奥の憧憬やら郷愁やらコンプレックスやらを掘り起こされて。
リビングテーブルに英会話本やフランス語本、パリ旅行本を積み上げ、競技中継の合間に美術・語学関連の録画を観て過ごす日々だったのです。
映像として楽しむのは、英語ではなくフランス語のもの。
この夏のマイブームだった録画は、NHKの2019年版「旅するフランス語」。バレエダンサーの柄本弾さんがトゥールーズ周辺を巡るシリーズです。
旅心を満たすのみならず、キャピトル劇場の舞台裏に潜入したりバレエ団のレッスンに合流したりと、舞台スキー好みの内容が盛りだくさんで、飽きずに何度も観ていました。
言語学者の父を持ちながら、幼い頃から家族の中で最も語学センスに欠けると言われ。学生時代も社会人になってからも、語学堪能な友人達と我が身を引き比べて落ち込む日々。
自分には語学上達に必要な何かが絶望的に足りない、といつも思っていました。
(耳? 好奇心? 課題分析? 方法論? 努力? 根気? うーん全部…)
それなのに、いえ、それだからこそ、確実に発作はやって来るのです。
幸か不幸かオリ・パラ効果か、今回の発作は長めで、まだ終わっていません。
そして今回の発作で悟ったこと。
ことフランス語に関しては、私は真面目に「上達したい」と思ったことがなかったのではないか。
第二外国語で選択しておいて酷い話ではありますが、「習得すべき言語」として認識していなかったように思うのです。。。
父の仕事の関係で、私はものごころつく前にフランスに連れて行かれ3年近くを過ごしています。
帰国して一瞬でフランス語を忘れ去り、ついに言葉を取り戻すことのできなかった残念この上ない身の上なのですが、毎日のように父がフランス語を喋るのを耳にしてはいました。
だからでしょうか、まったく意味不明であっても、フランス語が流れてくると私はどこかで安心してしまう。
胎児が母の心音を聞くように、幼い子が子守唄で眠るように、癒され安らぎ満足してしまう。
私は癒しを求めてフランス語という"音"を選んでいるだけなのです。
…これって、単なる幼児返りか、ちょっと変わったファザーコンプレックスの発出、なのではないか。
となると、フランスに行きたい、という想いは、一種の里心かも知れません。
巴里の景色をみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
…的な。
夢の中の私は、大聖堂の中やガラスのピラミッドの下で、何をするでもなくフランス語を浴びて、のんびりと時を過ごしていました。
ただ、そう思ってみると、里帰り先の言葉がわからない、というのはなんとも淋しい話で。
まだ終わらない今回の発作で、少しでも"言語"としてのフランス語と親しくなりたいと願う次第です。