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自意識の壁/僕はツーブロックと言えなくて

人生の大半を自意識と共に歩んできた。あるいは今もである。

 美意識に目覚めた僕は意を決して人生初の美容院、いやサロンに向かったが、予約をしておらず醜態をさらした。
 やっぱり自分にはサロンは敷居が高すぎるのではと悩んだが、減量に成功した僕の変身願望はおさまることを知らず、再びウェブで予約をし入店を決行した。

散髪スタイリングを担当する男性の美容師スタイリストは、人生楽しいことばかりで挫折したことありませんみたいな笑顔で僕に注文を聞いた。

 僕には憧れの髪型がある。ツーブロックだ。ただ伸ばしてるだけのもっさりヘアーとは違い、清涼感がある。とくに刈上げた襟足から頭頂部のもっさり感に向かうグラデーションは絵に描いたようなコントラストだ。カッコいい。
 しかし問題がある。「ツーブロックにしてください」と言ったとする。僕はツーブロックをカッコいいと思ってる以上、その注文はスタイリストに「恰好よくなりたいです」と宣言しているのと同義になるということだ。スタイリストはこう思うだろう。

「へーこいつ恰好よくなりたいんだぁ」

彼はこれからカットする小一時間、”恰好よくなるに値する男なのか”値踏みをするような視線を僕に浴びせるに違いない。そんなの耐えられない。口が裂けても「ツーブロックにしてください」なんて言えないのだ。カットモデルが記載されたカタログを参考に見せるなんて論外である。

だから僕はツーブロックというワードを使わずに、ツーブロックにしたいことを、しかもそれがツーブロックであることをバレずに注文しなければならないという難題を抱えた。
「まぁ、夏なんでサッパリしたいんですよね」
ツーブロックの代名詞である刈上げ要素を伝え、同時にわざわざ美容院に来た意義にも触れた。いい出足である。続いて
「頭頂部は結構残しておきたいですね。せっかく伸びてるので」
ここでモサッと感を注文する。いま思えば刈上げを注文しておいて頭頂部を残せというのは我ながら矛盾した注文である。「せっかく伸びてるので」の言い訳も意味不明だが、あくまでも髪を切るのは合理的な理由であって、恰好よくなりに来たわけではないという態度を全面に押し出す必要があった。
「ツーブロックですか?」
困惑した表情のスタイリストは直球に尋ねてきた。僕は胸を鷲掴みにされるような緊張が走った。ここで「はい」と応えたらこれから小一時間が恥じ地獄である。「はい」の言葉の裏に「恰好よくなりたいんです!」が含まれるからだ。
「あぁ、ツーブロックっていうか、そうですね、清潔感が欲しいです」
やや煮え切らない返答だが、ツーブロックというワードを避けるにはこれしかなかった。
スタイリストは僕の注文を受けカットを開始した。どうにかツーブロックと言わずに済んだ僕は、安心してスタイリストと内容のない会話もできた。

スタイリストと内容のない会話をするなんてアーバンだぜ。そんな感慨に浸っていると、
「お客さんは直毛だから両サイド短くしないとバランス悪くなっちゃいますね。いいですか?」
と藪から棒に方針の変更を言われた。もし僕が「いや、ここはこうで・・・」など細かな注文をしたら、「なんだ!やっぱり恰好よくなりたいんじゃないか!この豚顔面!」と思われてしまう。だから美意識に無関心であるかのように「あーそうですか。いいですよ、お任せします。」と余裕の態度を示した。

それから何度かスタイリストのアドバイスがあったが、引き続き”美意識に関心のない、合理的な理由で髪を切りに来た男”を演じた。内心では格好よくなりたいわけなのだが。

スタイリングのすべてが終わって、僕は瞠目した。そこにはツーブロックの自分はいなかった。

スポーツ刈りになっていた。しかも田舎臭いやつ。


刈上げ、頭頂部は長めに、サイドは合わせて短く。


あぁ、確かにスポーツ刈りだ。僕の注文はすべてクリアしている。
スタイリストさん、あんたは一流だった。完璧だよ。


かくて僕は田舎のスポーツマンという大変身を遂げた姿でひと夏を過ごしたのであった。

ちーん。




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