自乗とバチと小平先生とレンチン
(いまから非常にくだらないことを書こうとしています。それでもよいと思うかたは、どうぞお読みください。)
$${4^2}$$ とは、4を2回かけている、つまり4×4のことですが、これを4の2乗と言います。あるいは、4の平方とも言います。
2乗は「にじょう」と読みます。3乗は「さんじょう」と読みます。しかし、なぜか中学ではじめて「2乗」を習ったとき、これを「じじょう」と呼ぶ先生がけっこういたのです。なぜだろうとずっと思っていました。高校でも「じじょう」と言う先生はけっこういました。大学に入ってからほとんど聞かなくなった気がします。なぞが解けたのは、ある、松本先生という数学の先生(「松本先生」って有名な先生だけでも複数いますのでご注意。松本眞先生)の、一般人向けの記事(あれ、まだネット上にあるかなあ。検索してみてないですけど)を読んだときです。松本先生は、「万有引力は、距離の自乗に反比例する」と書いておられました。そうか!「自乗」って書くのか!「2乗」や「平方」と同じ意味でした。
そして、ずっとのち、2006年に中高の数学の教員になったら、またいろいろな先生が「じじょう」と呼んでいます。つられて生徒さんもふつうに「じじょう」と言っていました。おそらく、「自乗」って書くのを知っている人は少ないのじゃないかな。2番目に生まれた男の子を「次男」(じなん)と言ったり、「健二(けんじ)」さんというお名前のかたがいたりするのと同じ感覚で「2乗」を「じじょう」と言っているのではないかな。そして、ここからは勝手な想像ですが、大昔の先生が「自乗」を「じじょう」と言っているのを聞いていた生徒さんがまた先生になり「じじょう」と教えるようになり、またその生徒さんが「じじょう」と言うようになる、ということが繰り返されているのではないか。実際、その現役の中高生諸君もしきりに先生の影響を受けて「じじょう」と言っていましたしね。拡大再生産(?)ではないのですか。
あれですよ。「レンジでチンする」という言いかたと同じ。「レンチン」とか言いますよね。いまのレンジは「チン」とは言わず「ピー」と言いますが、「レンジでピーする」とはほとんど言いませんよね。若いかたはご存知ないのかもしれませんが、昔のレンジは「チン」と言ったのですよ!それが、言い伝えられているのではないの。
あと、下駄箱とか(いまは下駄を入れている人はいない)、筆箱もそうですね(もっとも「鉛筆」は「筆」という字を書きますから筆かもしれませんが)。「写真機」は古くなっていない言葉ですよ。カメラは確かに写真機です。
複素平面(複素数平面)から原点を除いたもの(あるいは、複素数全体から0を除いたもの)を、$${C^{×}}$$ と書き、「シーバチ」と読む人がけっこういました(分野にもよるみたいですけど)。なぜ「×」を「バツ」と読まずに「バチ」と読むのか、由来を授業中に教えてくださった先生がいます。ある、昔のその道の偉い先生が「バチ」って読んでいたそうなのですね。その先生の地方の方言じゃないかなあ。それが定着したらしいのですよ。この話、あまりに専門的すぎて、ちょっと検索したくらいでは出ません。私も専門の数学から離れて久しく、「シーバチ」など忘れて久しいので、検索して確かめようとしましたが、確かめられませんでした。間違っていたらごめんなさい。
小平邦彦(こだいら・くにひこ)さん(1915-1997)という有名な数学者の先生がおられます。この人はなぜか数学の世界ではよく「小平先生」と「先生」つきで呼ばれていました。「小平先生の定理」みたいな言いかただったと思います。これは、われわれ(私は今年47歳です)の世代より上の、東大の数学の先生は、小平邦彦というと、そのころの東大の数学科の先生だったのですね。たしか数学科長だったのではないかと。いろいろ恐ろしいエピソードも聞きました。そこで、皆さん小平邦彦というと「小平先生」と「先生」つきで呼ぶのが自然だったのですね。それで、つられてわれわれの世代の、小平先生を直接は知らない人たちまで、つい「小平先生」と「先生」つきで呼んだりしていました。現代の二十代の数学者がどう呼んでいるか知りませんが、もしかしたら、つられて「小平先生」と呼んでいるかもしれない。わからないけど。
院生の時代、ある先輩から「いつも数学の論文や数学の本ばかり読んでいないで、たまにはこういう息抜きのも読んだらいいよ」と教わって読んだ、小平先生の一般人向けの本があります。それは小平先生が戦後まもなくアメリカに呼ばれて「頭脳流出」した先で、日本に残してきた家族に送った手紙をまとめたものでした。めちゃくちゃおもしろかったです。書名は忘れました。出て来る数学者が、もう歴史的な名前ばかり!小平さんは英語が苦手であり、ひんぱんに英語に苦しんでいる様子が書かれています。たとえば、クラシック音楽をご存知のかたには通じる例を出しますと、「きょうはブラームスとチャイコフスキーと3人で昼食をいただきました。ふたりはしきりに冗談を言い合って笑っているようでしたが、私には言葉がわかりませんでした」みたいな感じです。あまりに英語が苦手すぎて、しかし英語で書かれた論文が評価されたからアメリカに呼ばれたわけで、ついに「この論文、ほんとうにお前が書いたのか?」と言われる始末で「彼らは、英語を書くということと、英語でしゃべるということの違いがわからないのです」とも書いてありました。思い出すエピソードは、ドラーム・コホモロジーで有名な「ドラーム」という数学者です。小平先生のその本によれば、ドラームという人は、数学をやっていないときには、いっさい数学の話題を出さない人で、かなりのアウトドア派で、何人かを車に乗せて遠くの町の研究集会に行くときも、何十時間もひとりで運転を担当していたとか、そんな話でした。ぜんぶ記憶で書いており、すみません。私が微分形式の授業でドラーム・コホモロジーを習った四半世紀くらい前の時点で、ドラームは亡くなってそれほど時間が経過していないようでしたが、やはりかなりのアウトドア派だったことを、その授業の先生からも聞きました。おもしろ!
それで、小平先生は、新宿区の名誉区民でもありました。私は新宿区に住んでいたこともありますが、区役所に入るとまず小平先生の写真が大きく飾ってあるのでした。いまでもそうかな?
どうです、つまらない話だったでしょう。自乗とバチと小平先生とレンチンの話。だから最初につまらない記事ですよと書いたのです。しかも私の話には落ちがない。これで終わりなのです。だから何?っていう話ですが、とにかく落ちはないのです。以上です!