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中学生になる皆さんへ。英語の話

 今度、中学生になる小学6年生の皆さんへ。先日は、中学での勉強の心得について、書きました。(いちばん下にリンクをはりますね。)算数が数学になると聞いて、内心、戦々恐々(せんせんきょうきょう)となさっているのかもしれません。私の専門は数学であって、英語ではありませんが、少し、中学からの英語の勉強について書きますので、よろしければお付き合いくださいね。

 英語というのは「はじめて習う外国語」ですね。世の中にはいろいろな言葉があります。スペイン語とか、ノルウェー語とか、中国語とか、ベンガル語など、数えきれないくらいあります。そのなかでも、はじめて習う外国語が、英語です。「英語」とは英国、すなわちイギリスの言葉です。なぜイギリスの言葉を最初に習うのか、というのは、後回しの話題にしまして、まず、私が「外国語を習うときの心得」だと思っていることを書きますね。

 (ちょっと信用していただきたいのであえて書きますが、私は現役で東大理科一類に入りました。それなりに英語が出来ないと受かりません。また、修士論文は英語で書きました。内容は数学ですけど。つまり私には英語の著作があります。)

 「母国語」(ぼこくご)という言葉はご存知でしょうか。おそらくご存知ないですね。「母国」(ぼこく)とか「母校」(ぼこう)とか「母教会」(ぼきょうかい)という言いかたはご存知でしょうか。なんで「母」と書くのかは知りませんが、「母国」とは自分の出身の国のことです。おそらくこれをお読みの皆さんは、日本が母国であるかたが多いと思います。そういう場合、どんな外国に住んでも、母国は日本です。また、母校というのは、出身の学校のことです。皆さんは小学6年生だとすると、まだ母校はないのかもしれません。いまの小学校を卒業したら、その小学校は母校になります。(母教会というのは、自分が洗礼を受けた教会のことです。どこに住んでも母教会は変わりません。クリスチャンしか通じない例でごめんなさいね。)というわけで、母国語というのは、自分が生まれてはじめて知った言語です。これをお読みの小学6年生の皆さんにとって、母国語は、多くの人は日本語でしょう。母国語は、勉強して学ぶわけではありません。赤ちゃんのころ、「あぶう、ばぶう」とだけ言っていて、周囲の大人が「どうしたの?」とか声をかけていました。それで、なんとなく覚えてくるのが母国語の特徴です。母国語はそうやって覚えたものです。外国語を学ぶのは、これとは決定的に違います。外国語は、論理で学ぶのです。つまり、「文法」と「単語」で学ぶのです。先日の記事で、私は、小学校に比べて、中学校の先生のおっしゃることのほうが、はるかに論理的であるという話をしました(最後にリンクをはりますね)。算数が数学に変わるときも、そのような違いがあります。内容が変わるというより、「先生の話すことが小学校よりずっと論理的になる」ということなのです。私は、中学に入って、急に勉強ができるようになりました。急に授業が体系だった気がして、するすると内容が入って来て、突然、優等生になったのです(小学校のころは、整理整頓ができない、ものをなくす、電気のつけっぱなしをする、ということで叱られ続けたのみならず、勉学も振るいませんでした。中学で急に成績がよくなり、そのまま県で一番の進学校に行き、東大に行き、東大院に行ったわけです)。とにかく私は「空気が読めない」人間で「論理で理解する」タイプの人間だったので、中学に入ったら急に勉強ができるようになったのです。「中学に入ったら急に勉強が難しくなった」とおっしゃるかたは、おそらく私と逆のタイプのかたなのでしょう。それはともかく、母国語と違って、外国語は、論理で学びます。「語学」とはそういうものです。いまの時代は小学校から英語を学びますね。私(今年47歳)が子どもだったころは、中学から英語を学んだのですが、皆さんは小学校で少し英語を学んだと思います。私は、いまどきの小学校の英語の教科書を見たことがあります。それは、英語を、論理ではなく空気で教えようとしていました。もしも私がいまどきの小学生だったら、英語も理解できず、英語に苦手意識を持ったかもしれません。しかし、そういうタイプの皆さんもご安心ください。中学に入ったら英語の勉強は(も)新規まき直しで、一から論理で学びます。それがほんとうの語学です。

 皆さんが小学6年生だとすると、おそらく小学1年生か2年生のころ「ピコ太郎」という人が流行ったことを覚えておられるだろうと思います。「I have a pen.」(アイ・ハブ・ア・ペン)と言いながら踊っていた人です。あれは「私はペンを持っている」という意味の英語です。少しこの英語を例にとりましょう。最初の「I」(アイ)というのは、「私は」という意味です。英語では、「私は」と「私の」と「私を」というのが、すべて異なる言葉です!「私の」は「my」(マイ)と言い、「私を」は「me」(ミー)と言います。「マイナンバー」という言葉はご存知ないですかね。「私の数」という意味です。とにかく英語においては「私は」と「私の」と「私を」というのが、すべて異なる言葉なのです!この時点で、すでに文化がだいぶ違うということはおわかりになったと思います。外国語を学ぶというのは、違う文化を知ることでもあります。

 つぎにピコ太郎が言っていた「have(ハブ)」ですが、「持っている」という意味です。英語では、「私は」のつぎに「ペンを」ではなく「持っている」が来ます!このように、日本語と、言葉の並ぶ順番も違うのです!これもびっくりですね。そのあとに「ペンを」が来ます。

 その「ハブ」のつぎにピコ太郎が言っていたのが「a(ア)」です。これは「ある」「ひとつの」というくらいの意味の言葉で「冠詞」(かんし)と言います。日本語に冠詞はありません。ピコ太郎の持っているペンが1つであることを意味しています。このほかに英語の冠詞で「the(ザ)」というものがあります。これは、「さっき出て来たあの(ペン)」という意味になります。私はかつてのある記事で、新約聖書の福音書(ふくいんしょ)のことを「『ザ・聖書』みたいな書物です」と書きました。そういう「ザ」という言葉の使い方はおそらく聞いたことがあるだろうと思います。本来は英語の冠詞です。最後にピコ太郎が言っているのが「pen(ペン)」で、これが日本語のペンと同じ意味です。というか、英語から言葉を輸入して日本語化したものが、日本語のカタカナ言葉の「ペン」だと思います。これもペンが1本であることを意味しています。英語には「単数(たんすう)」(ひとつ)と「複数(ふくすう)」(ふたつ以上)の区別があります。ペンの複数形は「pens」(ペンズ)です。日本語で「あなた」と「あなたがた」は違うと思います。「あなた」と言ったら相手は必ずひとりですよね。ふたり以上いるのに「あなた」とは言いませんね。また、「あなたがた」と言ったら相手は必ずふたり以上ですよね。相手がひとりなのに「あなたがた」とは言いませんね。それと同じように、少なくとも英語では、単数と複数の区別があるのです。(じつは英語には「あなた」と「あなたがた」の区別がない(you、ユー)という逆転現象がありますが。)「巨人」という野球チームがありますが、「ジャイアンツ」と言います。単数形は「ジャイアント」なのですが、巨人というチームには選手が2人以上いますので、複数形で「ジャイアンツ」と言っています。「タイガース(トラたち)」や「ドラゴンズ(竜たち)」も同様です。また、あのころ、デーブ・スペクターさんという人がテレビで以下のようなことを言っていました。普通「I have a pen」は言わない、と。じつは「ハブ」という「持っている」という言葉も、意味が広く、デーブさんによると、「ハブ」は「持っている」といっても「所有している」という意味が強いようなのです。ピコ太郎はペンを手に持っていました。デーブさんが言っているのは「その本、持っています!」というときの「持っている」ですね。その場合、実際にその本を手に持っているのではなく、「所有している」という意味ですよね。デーブさんが言いたかったことは「私はペンを1本、所有している」というのは当たり前すぎて(だって多くの人はペンを1本くらい所有しているでしょう?)、なかなか言わない言葉だ、ということだろうと思います。こういうわけで、言葉というものは、かなり文化の違うもので、中学に入って英語を学ぶと、けっこうカルチャーショックをお受けになるだろうと思います。

 私の高校生くらいのときに、我が家から、昭和2年か3年発行の世界地図が出て来たことがあります。私の祖父か曾祖父の使っていた世界地図です。カラー刷りでした。たとえば「ヤリタイ」と書いてある国があります。どこだと思いますか?これは「イタリア」です。当時は「イタリヤ」と言い、そして日本語を横書きにするときは、右から左へ書いたのです。それを、現代の私たちが左から右へ読むと「ヤリタイ」と読めるわけです。世界の国の面積の比較もありました。世界で最も広い国はイギリスでした。なぜかと言いますと、植民地まで含めて計算していたからです。イギリスにもフランスにもたくさんの植民地がありました。世界中のあちこちにイギリスがあったのです。日本は濃い赤で染められていましたが、朝鮮半島(いまの北朝鮮と韓国)も日本でした。南の島の多くも日本でした。そして、その昭和2年か3年くらいでは、イギリスの植民地では英語が使われていました。いまでも元イギリスの植民地では英語が通じるところが多いです。アメリカで英語が通じるのは、大昔、イギリスからアメリカに渡った人たちがたくさんいたからだと思います(ごめんなさい、私は世界史を学んだことがないので、今、あやしい知識で書きました。どうぞあまり信用なさらぬよう)。とにかくそんなわけで、英語は世界で通じる言葉になっています。だから日本の学校教育では、いちばん最初に習う外国語は、英語だと思われるのです。先ほどちょっと、私の修士論文は英語で書かれていることを書きました。学術の世界は、ほとんど英語です。古い文献でたまにドイツ語やフランス語の文献があったりして参った覚えもありますが、ほとんど英語です。付け加えますと、日本国内であれば、日本語の文献もけっこうあります。日本に住んでいる人の多くは母国語が日本語であり、この私のたったいま書いている記事も含めて、日本では圧倒的に日本語が通用するからです。日本語で書かれた研究集会(学会)の予稿も多いです。ひとつだけリンクをはりますね。だから文科省がSGH(スーパーグローバルハイスクール)甲子園で、高校生に研究成果を英語で発表させているらしいのは、私は良くないと思っています。研究はまず中身であって、ここが日本である以上は、最も通用する言語は日本語なので、日本語でやるべきだと思います。とにかく皆さんは、「英語」=「レヴェルが高い」という安直な図式にだまされないでくださいね。

(↑わざわざ見なくてもいいですけど、けっこう日本語で書いてありますでしょ?)

 それから、たとえば韓国人と話すときも、英語を使ったりします。こちらは韓国語ができず、向こうは日本語ができなかったりすると、やはり共通して知っている言語は英語になるからです。私にはオランダに住むオランダ人の友人がいます。彼とのメールも英語です。私はオランダ語ができず、彼は日本語ができないからです。そういうわけで、英語というのは、かなり国際的に通じる言葉なのです。

 私には英語の著作があると書きました。修士論文です。(博士論文は書けていません。発達障害の二次障害にやられて、不可能になりました。)実際に英語で著作を書くときに、私が最も悩んだことは以下の2点です。すなわち、冠詞が「a」なのか「the」なのかわからないという点です。もうひとつが「単数」と「複数」の使い分けでした。考えてみると、どちらも日本語にないものです。どうやら、母国語にないものを「難しい」と感じるらしいことがわかりました。英語をはじめ多くの言語には「L」と「R」という、日本語では「ラ行」に相当する発音が2つあり、その発音の区別が難しいのも同じ理由だと思います。そのずっと前、大学入学時に私は第二外国語を選ばねばならず、「ドイツ語」を選びました。なんとなくベートーヴェンとかブラームスが好きだったからだという以上の理由はないのですが、それでクラス分けがなされました。ドイツ語を習って驚いたのは、名詞(ものの名前)に性別があることです。「男性」「女性」「中性(男性でも女性でもない性)」があるのです。これは日本語にないのみならず、英語にもありません。驚きました。すっかりドイツ語は忘れたので検索して調べますが、たったいま調べたところによるとたとえば「日曜日」は男性であり、「バナナ」は女性であり、「白」は中性です。このようにあらゆるものに性別があり、それによっていろいろなものが変化するので、これを知っていないとドイツ語はできません。「ずいぶん難しい言葉だなあ!」と思ったものですが、それは日本語に性別がないからです。ないものは難しいと感じるのです。ドイツで生まれ育ったドイツ語が母国語の人は赤ちゃんのころから「あぶう、ばぶう」と言い、大人が「どうしたの?」とドイツ語で言いますので、ごく自然にドイツ語を覚えます。だから、ギリシア語やヘブライ語が難しいと言いますが、おそらくそれは、日本語とはなはだしく違う言語だからではないのか、と思います。英語がじゅうぶんにできる人にとっても難しいらしいので、おそらく英語ともはなはだしく違う言語なのでしょう。(余談。「天にましますわれらの父よ」という「主の祈り」をご存知ですか?教会に行っている人は知っていますよね。なぜ「天の父」というのか。なぜ「天の母」とは言わないのか。おそらくそれは、「神」が男性だからではないのか。おそらく神様は男なのでしょう。またあやふやな知識で書いています。すみません。あまり信じないでくださいね。「主の祈り」をご存知の皆さんへの余談おしまい。それにしてもさっきの「母校」「母国語」というのはなぜ母なのかはわかりません。無知なことを書いてすみません。)

 そんなわけで、中学に入ったら、数学も英語も、小学校に比べてずっと論理的に学びます。それ以外の教科・科目も、かなり論理的になります。論理的思考のほうが強いタイプは、私のように中学に入って成績が上がるのでしょうが、そうでない人の場合は、中学に入ると勉強が難しくなったと感じるようです。どうぞ、先生のお話は「論理」であって「おしゃべり」ではないことに気をつけていただき、したがっておしゃべりを聞くように、「なんとなく雰囲気で」聞かないようにしてくださいね。(落ちこぼれる原因ですよ。)そして、母国語とは違って、外国語というものは、文法と単語で、論理的に学ぶものなのです。それが語学です。

 以上です。さきほどからリンクをはると言っているものをはりますね。よろしければ合わせてお読みくださいね。


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