タイミングの悪い人

 (※サムネは、第一アドベントのものです。きょうは、ろうそくが4本ともる日の前日なので、まさに「タイミングの悪いサムネ」笑)

 タイミングの悪い人というのがいます。私は、自他ともに認める、典型的な、タイミングの悪い人間です。

 いまこの記事を書こうとして、豊富な「タイミング悪いネタ」から、ほんのひとつを思い出しました。職場にいて、業者がやってきます。普通、ピンポンは押さないで入ってくるものですが、たまに、ピンポンを押す業者がいます。ピンポンが鳴りました。あわてた私は、インターホンを取ろうとして、背面にある受話器を取り、「あ、あ、あの…」と、例によって私のおぼつかない応対をしてしまいました。ところがその受話器は、じつはインターホンではなく、エレベータのなかのスピーカーにつながっており、そのタイミングで、私の最も苦手な上司が、ちょうどエレベータに乗っていたのでした。つまり、その上司からすると、エレベータに乗った瞬間に、自分の最も嫌な部下の声で「あ、あ、あの…。ど、ど、どちらさまでしょうか…」などと聞こえてきたことになるので、彼は怒り心頭で、私のところへ、いまのはなにごとだ!と怒りに来たのでした。いかにも私らしい、タイミングの悪いエピソードです。

 しかし、仕事を半年以上、休んでいるせいかもしれませんが、世の中、そんなにタイミングの悪いことばかりだろうか。むしろ、絶妙のタイミングのよさばかりなのではなかろうか。とも思えて来たので、この記事を書き始めたわけです。
 
 9月の、まる1か月に及ぶ、他県への滞在など、タイミングのよさの連続でした。それは、もう、当時、書いた記事(「日頃の行い」がおすすめです。またもリンクのはりかたがわからずすみません)から、いまにいたるまで、タイミングのよさで成り立っています。あしたも、そのタイミングのよさのひとつの実りがこの目で見られる予定で、たのしみにしています。

 1年半くらい前のことになりますが、キリスト新聞の松谷信司さんとの出会いも、タイミングのよさの連発でした。タイミングのよさのおかげで、そして私の空気の読めないあつかましさもあって、松谷さんとは親しくなれました。松谷さんのすすめで、こうしてnoteも始めております。もう半年くらい、毎週、更新しています。ずっと仕事が休みだからできることではありますが。
 そして、noteから生まれた出会いもあり、すべてはつながっています。
 (最近の私は、これが果たして神のみむねなのかわからないので、安直に神様の導きで、とは言わなくなりました笑。「タイミングのよさ」という言い方にとどめておきます。)

 もう少し、単発のタイミングのよさの例を挙げます。4年以上前、私は学校の教員でした。オーケストラ部の顧問でした。ある教会で、オーケストラ部を引率して、小編成で、「You Raise Me Up」を礼拝中に指揮しました。つまり特別賛美というやつです。ところが、なんの打ち合わせもしていなかったのに、この日に読まれた聖書の箇所は、ヨハネによる福音書5章1節以下の、ベトザタの池のところで、三十八年、苦しんでいた人に、イエスが「起き上がりなさい」と言って、歩けるようにしてくれる話でした。You Raise Me Up! 出来すぎの話ですが、これはタイミングのよい話というのか、みこころなのか笑

 そもそも、私がキリスト教と出会ったのでさえ、偶然につぐ偶然につぐ偶然につぐ偶然なので、これでもかというほどのタイミングのよさです。また、私は、洗礼を受けた直後、大きな精神病(発達障害の二次障害)をやり、すべてを失いましたが、これをずっと私は、「洗礼を受けたら病気になった」と受け止めてきました。これを、「病気になる直前に、神様が洗礼を授けてくださった」ともとらえられる、と思えるようになるのには、ものすごい時間が必要でした。しかし、たしかにそうともとらえられるので、ようするに病気から遠ざかって、鈍感になってきたから、そんな悠長なことも言えるのでしょうが(この話をツイッターに書いたら「すばらしい、信仰ですね」と返信してきたやつがいて、非常に腹が立ちましたが、そんな、「信仰」じゃないですよ。受け入れるのに時間を要したことと、それは鈍感になったということだというだけです)、だいたい、そうとらえたあとも、今回を含めて3回も長期の休職をしているので、だからほんとうになにがみこころなのかなんて、あの世に行くまでわからないんじゃないかと思いますが、しかし、たしかにあのタイミングで洗礼を受けていなかったら、いまごろこの世にいないかもしれないので、よかったことにしておきましょう。神様は、なんだか知らないですけど、まだ私に、生きろとおっしゃっておられるらしい。わからないけど。

 (「事実は小説より奇なり」って言いますけど、そりゃそうですよね。小説では、出来すぎた話は、ご都合主義って言われちゃうでしょうけど、「事実」のほうは、もうどれだけでも偶然に偶然が重なって、ご都合主義どころじゃない奇跡がたくさん起きますものね。)

 というわけで、私はタイミングの悪い人ですけど、じつは、ものすごいタイミングのよさに生かされているのではなかろうか、というお話でした。つまらなかったらすみませんでした。ここまでお読みくださりありがとうございました。

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