私が私から拒絶されていた話
こんにちは♪
hisaeです。
すっかり春らしくなったと思ったら、
北海道では雪が積もった地域もある様子。
昔は、タイヤ交換もして、すっかり気を許したGW付近で雪が降ったりしていたので
「異常気象」と呼べるのか
「昔にもどった」と捉えるのか
人によって基準が違うなーと感じています。
ちなみに私は、雪が大好きで降ったらテンション上がる人です。
(お出かけ予定の時に降るとちょっとテンション下がりますが)
なんか、四季をしっかり感じられるというか。
春は植物や動物が動き始め
夏は地球上のすべてのものが活発になり
秋は冬を超えるための準備で様々な実りが得られ
冬に寒さを凌ぐために大切なモノたちと一緒に身を寄せ合う。
身を寄せ合うなかで、より距離が近くなれるように
雪が私たちの自由を奪っていると思ったら
なんか愛おしいというか。
人も動物も関係ないのよねーって思えるのが四季で、
雪は大切な人と近づける時だから、なお嬉しい。
そんな風に捉えています。
さて、本日は、
私が私を拒絶していたお話。
この言葉を聞いて、みんなどう感じるんだろう。
私が頭のおかしい異常者のように感じる人もいれば
精神疾患者と思う人もいるのかな。
とにかく、ポジティブなイメージはないよね(笑)
まぁ、それが一般的な反応というか
普通なのかなとも思いますが。
ただ、先に言っておきます。
「私が私を拒絶している」ことは
たぶん地球上の人間のすべてがやっていることだと思う。
認識はしていて、その状態を受け入れているか受け入れていないかの違いで。だから、みんなすでに頭のおかしい異常者なので安心してね(笑)
この気づきに至ったきっかけは
「恋愛」に対して自分のなかのブロックを深堀していた時。
寝る前の数分でした。
恋は長続きしない私のロジック
私は、恋人ができてても長続きしない傾向があります。
長くて2年未満。
人と一緒に過ごすのが向いてないのかもな、って思うこともありました。
でも、死ぬときに一人はいやだなーって思うし
心を許せる大切な人が家族以外に欲しい。
だから、良いなと思う相手ができたら
真剣に向き合ってきたつもりです。
でもねー、すべて条件で選んでいたんです。
その条件って、外見とか経歴とか
そんな表面上のものではありません。
もっと深くて、とうてい表面では見えない
深い部分での条件。
♦私と真剣に(良いも悪いも)向き合ってくれる相手
♦心を許しても大丈夫と思えるくらい信頼させてほしい
♦まるごと私を受け入れて愛してくれる人
♦同じ価値観を持っている人(超抽象的)
こんな感じで、まぁめちゃくちゃな条件を無意識に持っていたことに
気付いたわけですよ。
いやー、文字にすると脅迫やんって思うよね。
最初からそんな人おらんて。
私の理想のためにあなたの命と個性を殺してくださいって
いっているようなもの。
さすがにこれに気づいたとき、
「あ。精神サイコパスや」って思いました(笑)
で、これを無意識に持っていたと気づいたのが
「無自覚の依存体質」である私を受け入れたときでした。
ある本を人から紹介されて読んだんですが
その名も「5つの傷」というリズ・ブルボーさんの本。
この中に、5つのパターンで人の傷は分類されることを話してて
そのなかの依存体質の傾向がほぼ私の事だったこと。
そして、自覚があるくらいに「依存傾向」があるのも分かっていました。
過去に、依存をしたことがあるから。
私の事をしっていたり、仲の良い人からすると
私のイメージは自立していて、誰にも依存しないように見えているかもしれませんが、それは過去の苦しい「異性への依存経験」から学んだ
自分への反骨精神で”見せている自分”です。
本当の私は、甘えたくて仕方ない末っ子気質。
でも、「依存する自分じゃ捨てられる!」という無意識の思い込みが年々育まれていて、「依存して”なさそうな”自立した女性」を自ら演じていたわけですね。
無意識に。
さっきお伝えした条件を
依存の視点で見てみてみましょう。
♦私と真剣に(良いも悪いも)向き合ってくれる相手
➜真剣に向き合えない人は、必要ない
(私を認めて甘えさせてくれないんでしょ?の概念)
♦心を許しても大丈夫と思えるくらい信頼させてほしい
➜ちっぽけな私に信頼されない人は、だれからも信頼されない
(私が自分を信頼してないのを棚に上げてる)
♦まるごと私を受け入れて愛してくれる人
➜悪い部分も愛して!(自分が認められていない短所も愛して!)
♦同じ価値観を持っている人(超抽象的)
➜価値観が違うのは合わないし、苦しくなるから無理
(価値観という抽象的な概念で人をジャッジしている)
(苦しくなるのは相手のせいだと言いたい)
こんな感じでしょうか。
こまかい心理描写はもっとあるんですが、長くなるので割愛。
なんか、全部うらを返したら「あなたに依存させて!」って言ってるんですよね。怖くない?やば。普通の顔して毎日過ごしている異常者よ(笑)
これを無意識に何年も続けていました。
同時に、ありのままの自分をみると、この様に精神サイコパスな自分を知ってしまうから、本当の自分を無いものにしようとして、自立している”風”の本当じゃない私の仮面をつけて、日常を過ごしているので
虚勢も上手になっていってました。
この時点で、
「すでにありのままの自分を受け入れる」ことを拒否しているの、
よくわかりますよね。
で、
今回の話はここからが本番(笑)
(前置き長い!)
更に深いところまで行きます。
上記の精神サイコパスに関しては、
うっすら自覚あったし、許容範囲でした。
まぁ…改めて認識すると、マジでヤバい奴だって理解できたんですけど(笑)
ここまで理解できていたのに、パートナーを作ることに及び腰だった理由を
自覚できていないことに気づきました。
だから、私のなかの更に深い概念を探しにいきました。
私はパートナーが出来ると
♦私の中にあるセキュアベース(安全地帯)に招き入れる
♦そのセキュアベースの中で大事に関係性をはぐくむ
このような感覚がどこかにあって、
恋人=特別枠みたいな概念があるんです。
まぁ、家族でも友達でもないから、特別ではあると思うけど。
でも、その中にいるともちろん相手はとても窮屈ですよね。
だから、その窮屈さを無意識に感じて離れていくか、私が察知してコチラから離れるか、どちらかの選択をいつもしていました。
この一連の流れを繰り返していて、疲れていたんです。
特別なところに人を入れるって、結構なエネルギー使う。
そして、私の中に相手を勝手に招き入れてるくせに、
「彼が出ていかないように相手に合わせなきゃ!じゃないと出ていかれてしまう、また大切な特別な場所が空っぽになる」という想いが働いていて
私の中で「私が私らしくないエネルギーを使っていた」んです。
私が私でいるためのエネルギーではなく
人を引き留めるためのエネルギーを使っていた。
私の中で。
これ、私も相手も殺してます…ヤバない?まじで。
そして、ここで気づいた。
私のセキュアベースは、
「誰かがいないと埋まらない」と思い込んでいたことに。
相手がいない時、私のセキュアベースに「私」がいなかったんです。
私自身が、その中に居ない。
誰かがいる時だけ、私もそこにいる。
だから「私」を感じたくて、人をセキュアベースに招き入れていたし
依存物を自分で見つけて「認めて!」って繰り返していたんだなーと。
この瞬間まで
私は私を見ていなかったし、完全に拒絶していました。
心理的には
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ぅぉおおおおおおおおお!!!!!!」
「がぁぁぁぁ!!」
って感じ。(笑)
いつからなんてわからないけど
それくらい長い間、私を置き去りにして、見捨てて来ていた。
ここに気づいた瞬間に
体内がじわぁっと暖かくなって、「自分」を生きるためにセキュアベースという壁を無くしていけると思いました。
ここまで経験してわかったけど
私を生きるって簡単にみんないうけどさ、
なんか、結構、生半可じゃないよなと(笑)
簡単に言うてくれるなと。
本当に意味わかってんのか?と思うけど、それは良いとして。
自分を見つけられた今があるので
私はこれを伝えていくことを、続けようと思いました。
私がしたいように、私が望む方へ進もうと。
長くなったけど、私は私を拒絶していたことを認め
私を受け入れ「私」という愛を届けるのを、身が滅ぶまで続けようと思います~。
あなたも、あなたのセキュアベースが必ずあるはず。
そこに、自分はいる?
自分のために、愛するひとのために、世界のために
見返してみてほしいな。
そんな思いから書いた日記でした。
必要な人に届けばいいなー。