野村隆也
2024
日記、2023年〜
日記:2022年〜
「なにかをしたい」となったら、まず見てごらん。 さまざまなものを見比べてごらん。 訪れてみること。参照すること。暗闇をもがいてみること。 じっとしていても、何も起きない。 だが、闇雲に歩くよりは、まず深く息を吸えるように、ただぐっすりと寝るしかない。全てをゼロにして。 「なにかをしたい」その光が灯るまで、ただじっとする。 知らないだけだから。何も知らない。こう生きなければならない、と範囲を狭めているだけだから。いや、でもお金無いとなにもできないじゃん。 それはそうだ。だから
一人になった。ここまで来たのは初めてだった。いつも通りのはずが、初めてではあった。これまでの時間はなんだったのか、今では思いだせず気がつけば過去の写真を見ていた。 今僕は一人になった。それは初めてだった。僕をみたのは初めてではなかった。あの日から僕は一人だった。写真に映る自分は自分だった。でもそこに僕はいなかった。誰が写っているのかわからなかった。わかるはずもなかった。記憶は朧げだった。 今私はここにはいない。写真にうつるのは私だった。誰かが私をみている。だから私は出てきた。
インフルエンザで寝続けて4日目。何日も陽射しを浴びていない。最近よく、朝日を浴びて微笑んでいた寝たきりのお婆さんのことを思い出す。秋田さん。老人ホームでバイトしてた、もう3年前になる。 いまだに考える。会いたいなと思う。布団に篭るように日々の時間を過ごしていた。涙が流れない日の方が少なかった。 いつの間にか東京へいたり、出張も増えて関西へ行った。時間が過ぎれば出会いがある。ご馳走になることもあり、連絡をくれる人にも出会えた。 家に帰るとまた涙が出た。 何かをしたいと思う以上
僕は蟻を踏み潰すような人間だった。忘れてた。袖にアリが付いていたから、払い除けたら、別れた人に可哀想だよと言われた。 こんな人間から離れるのは当然だ。 自分のことを何も見えていない。 自分はゴミだった。弱いものをいじめる弱い人間だ。 外に出てはいけない。何もしてはいけない。まともになりたい。まともな人になりたいが、まともになりたいと書いている時点でそれは程遠いと思う。 一生なれない気もする。怖い。自分が怖い。殴られて生きてきた。だれかを殴るかもしれない。弱い人の前では強がれる
午前10時に金山のトウテンブックスで青山先生と喋る。コーヒーとビールが飲める本屋さん。青山先生奢りでコーヒーいただく。店主の人の名前聞くの忘れた。俺も名乗ってないし。二時間も喋っていたのに。先生と店主のおすすめの本を3冊購入してた。またここに来たい。子供みたいに自分のことをたくさん話せたから。
不安なときは未来のことを考えている時。未来のことを考えている時は今が充実していないとき。充実していない今は携帯の画面を見つめている。 それ以外の時間は仕事をしている。 昔っからある衝動。それをしてみたい。その衝動に身を任せてみたい。だけど怖い。もう二度と普通の生活に戻れない気がする。それを生業にできる気もしない。全部気がするだけ。気の渦の中を彷徨う。 僕は写真を撮る、映像を撮る。撮る、残す、という行為が好き。何のためかは分からない。分からないが、そこに幼少期に読んだ絵本と同じ
スリランカから旅行で日本に来ている、ナノシュとサディスにあった。 2人とも好青年で、スリランカで理容師と、鉄加工の仕事をしているらしい。 俺英語下手すぎる!もっと色々とコミュニケーションとれたらなー。とそもそも昨日まで、落ち込みすぎてたけど、今日はすこぶる調子が良い。俺こうやって生きていきたいんだなって、改めて強く実感した日だった。人と話したい。話す場を作りたい。それは自分の主張をするとかではなく、話す場を作り出したい、に言い方としては近いかなと思う。出会う人、目が合った人と
少しずつ立ち直ってきた感覚がある。また自分の足で歩き出せていける気がする。内側の衝動に気づき、目を向ける。4月から今日まで、自分の頭で考えることを放棄した。無理だった。現実を直視することが出来ず、ただ逃げ続けた。だが、逃げても目の前に現実は存在し続けた。仕事、家のこと、別れたこと、一人になったこと。描いていた未来が崩れて空洞の自分に毎日気付かされた。苦しみから逃れようと自分を奮い立たせた。強くあろうとした。恐怖に対して自己理解を経て対応しようとした。だが、どれもが対処療法に過
何事もないように1日が過ぎていく。死にたいと思う人がまたどこかにいる。絶望や悩みが当たり前にあり、笑い穏やかな時間も見えてくる。夜10時、近所の田んぼの一本道を歩いた。今日は県庁に勤めている友人と焼肉を食べた日だった。誕生日祝いとして奢ってくれた。もうすぐ結婚するかも。彼の口からその言葉を聞き、中学時代から冗談で「結婚式呼んでよな」と言っていた自分が今日まで、何も変わらずこの場所にいることがわかった。僕は何も変化していない。中学よりも、もっと以前。幼稚園児のとき鏡を見つめたあ
今は昨日の希死念慮が無い。その代わり、手、胸が痙攣している。 今日、ようやく自分のしたいことが出来た。ワクワクしているものに出会い決断した。 何かを配慮して、言い訳から、妥協して決断した感覚がない。 痙攣し頭が痛い。どうやら、ここまで本当に我慢していたらしい。我慢していたものが全部出た。 秋がようやくやってきた感じがする。涼しい風に包まれて、気持ちよくふと空を見上げると、月がぼんやりと見えた。今日が人生の大きな分岐点だと思った。欲をいえば、今日感じたことを毎日感じていたい。つ
担当していた書籍が完成した。死ねたら良いがやっぱり怖いね。寝てたらいつのまにかくらいがいい。
希死念慮がすごい。頭の中でまたしねという声が響く。どうしたら良いんだろう。頭がいたい。
今日、自分のこれまでの苦しみを言葉にすることができた実感があった。風呂掃除中に突然訪れた、涙が胸の苦しみが教えてくれた。家から離れなさい、と。君が帰る場所はここではない、と。僕はもっとみたい。出会いたい、奇跡のような温かさに。人の言葉に。今日、なんとなく自転車を漕いでいると感じのいい外観の寺を見つけた。入り口の門には仁王像があり、門の後ろで腰が曲がった女性が何やら作業をしていた。自転車を門正面に停めて、中に入ると、その女性と目が合い、笑顔で僕をみてこういった。 「弥勒菩薩の思
風呂を洗っていたら涙が溢れてきた。 訳がわからない。自分でも分からない。怖い。寂しい。とにかく悲しい。分からないけどこの辛さを自分すらも分からない。誰もわからない。分からなくていい。側にいて欲しい。片付けをしていただけで、泣き始める母、子供みたいで見たくもない。しっかりしてほしい。俺は無理だ。俺だって辛いんだ。風呂を洗う前は元気だったのに、1人になった瞬間涙が溢れた。涙で崩れた顔を母に見せてわかってもらおうとしたが、早く風呂洗いな、と言い返される。顔をみたはずなのに。 怖い、
当たり前か、Lifeだもんね。
長女と話すと、ただ普通に生きてるだけ、ってことがどれほど幸せなことかを思い出す。あの環境を生きてきたんだもんな。そんなことあったっけ、と、忘れてたことが多くて、自分の記憶より酷かったりして。よかったよかった。生きてて。祖母は、ありがたい、ありがたいって口癖のように呟く。その意味がわかった気がする。ありがたいね。本当に。ただただお日様浴びで、人との出会いを楽しみながら普通に生きていけばいいや。自分のしたいこと、普通に生きること。生活が全てだね。