8月15日
今日、自分のこれまでの苦しみを言葉にすることができた実感があった。風呂掃除中に突然訪れた、涙が胸の苦しみが教えてくれた。家から離れなさい、と。君が帰る場所はここではない、と。僕はもっとみたい。出会いたい、奇跡のような温かさに。人の言葉に。今日、なんとなく自転車を漕いでいると感じのいい外観の寺を見つけた。入り口の門には仁王像があり、門の後ろで腰が曲がった女性が何やら作業をしていた。自転車を門正面に停めて、中に入ると、その女性と目が合い、笑顔で僕をみてこういった。
「弥勒菩薩の思し召しじゃ」
その女性は杖の代わりに日傘をつき、もう一方の手に、桶を持っていた。
「ほんとよかった!私はね毎日弥勒菩薩にお祈りしているのよ、お兄ちゃんあなたは弥勒菩薩の使いだね」
そう言いながら桶を持ち、奥の家の玄関へ向かい始めた。杖をつきながら歩くもんだから、おばちゃんの体は左右に大きく揺れている。みているのも怖くて、手伝いましょうかと声をかけると、また笑顔で
「ほらほらあそこの桶ね、ここまで持ってくるの、台風が来るでしょ、それに備えて。さあ残り運んでしまいましょ」
と言われ、僕はここに初めから手伝いに来ていたのではないか、と錯覚した。それがなぜか、とても心地よかった。それは以前、近所を散歩していたとき、猫を追いかけ、出会ったあった飼い主のおばちゃんから、この猫貰ってくれないか、と言われた時に感じたものに似ていた。
桶を運びながら、この辺りの歴史について話してくれた。織田信長が天台宗の寺を焼き払ったあの時代に、この寺も被害に遭っているようで、市内で一番古い寺らしい。腰の曲がったおばあちゃんが、10年前の祖母にそっくりで涙が出そうになった。笑顔いっぱいでパーマ。頬が弛んで、少しふくよか。
人との出会いはこれくらいでいいはずだ。みんなで少しづつ助け合う。そのおばちゃんは、私がこんな姿だから、みなさん助けてくれると、これまた笑顔で教えてくれた。雨がポツポツと降り始めた。
「こりゃいかん、お兄ちゃん自転車だで、はよ帰らな。またきてね。その時ゆっくりお話ししましょ」
栄子さん。ありがとう。また来たい場所が一つ増えた。また来たい。それだけで人は生きていけるのではないか。だってそこには会いたい人がいて、場所があって、とっても落ち着いて。それが僕にって、帰る場所、な気がする。帰る場所が無数にある。どこにでもある、そうやって生きていけたらな、と思う。
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