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声の響きと疼き、その社会性について —Discursive injustice論の整理と批判的検討(1)

講義ノートとは?

自分が大学の授業で学んだ内容の中で、特に興味深いなと思ったものを要約し、より深く検討していくシリーズです。

今回取り上げるのはジョージタウン大学の哲学者、紫色の髪が印象的なクイル・ククラQuill R. Kukla (*1)教授が提唱したDiscusive injustice と呼ばれる概念です。邦訳をなさっている学者が見つからないため、自分が仮訳を与えるとすると「発話上の不正義」となるでしょう。Discursiveは取り留めもない、推論的な、という意味もあります(*2)が、discourse(対話、発話)の形容詞形として、対話や発話に関する、という意味を持ちます(*3)
発話が執り行われる空間で何か不正義があるようです。それはどのようなものなのでしょうか。端的に、「言葉の持つ力が、社会構造によって不当に発話者の意図からズレてしまうこと」です。詳しく見ていきましょう。
更に深く学びたい方は、その方(*4)が概念化を試みた最初の論文、Performative Force, Convention, and Discursive Injustice  をご参照ください。

言語行為とは

発話上の不正義の概念化は言語哲学の一分野である言語行為論と呼ばれる理論に基づきます。その基礎的な部分を簡潔に整理します。

言葉は言葉を超えて

「明日9時に新宿駅にいるよ。」と「あそこの木の下に人が立っているね。」は、言葉の表面だけを取れば人物の所在を指摘していますが、どこかもっと大きな違いがあるように感じます。前者は例えば友達と遊ぶときに集合場所と時間を決めている場面が想起されるでしょう。後者のような単純な場面の描写とは性質の違うものです。具体的に言えば、前者はこの言葉を述べること“によって“ある行為、この場合は「約束」を遂行するわけです。こうして、言葉はその内容を超えて現実に影響を及ぼすことが可能です。これを念頭に置いてください。そして、その発言を“通して“実現される行為を言語行為speech actと呼びます(*5)。

現実に書き換えられ、現実を書き換える言葉

言語行為の「インプット」と「アウトプット」として、以下のことが言えます。
1: ある言語行為がその言語行為であるためには、発話の内容、非言語的な特徴、
状況的な文脈、ひいては社会的文脈にまたがる様々な条件がある。言語行為はこれら慣例的条件conventionsに依存している。
2-1: 言語行為はその空間の規範を書き換える力を持つ。
2-2: 規範の書き換えは直ちに物質的な現実の書き換えに結びつくため、言語行為は物質的な効果を持つ。

まずは1から。街中を歩いていて知らないおじさんに突然「お前はクビだ!」と叫ばれると、は?と思うでしょう。一方、会社で上司に呼び出され、深刻そうな顔つきで「申し訳ないがお前はクビだ」と言われた場合、その言語行為を通してその人の解雇が遂行されます。これは、ひとえに上司と部下という社会的な立場がその発言の効果の違いを生み出しています。しかし一方、同じ上司でも、飲み会の場で上司をいじって、酔っ払って顔が真っ赤の上司がニヤニヤしながら「クビだよお前は笑」といった場合は、ただの冗談として理解されます。ここでは状況的な文脈、ひいては非言語的な特徴(声のトーンなど)が働いています。整理すると、望んだ言語行為をしようと思ったら、発言の内容だけでなく、無数の条件を満たしている必要が、実は、あるのです。そしてこうした一連の条件は社会的な慣例として共有されているので、ククラ氏はこれらをconventionsとしています。

2-1について。明日の9時に新宿駅と友達と約束した場合、その約束という行為によってお互いに“縛り“が設けられます。つまり、10時に行っても、あるいは9時に渋谷駅に行っても友達に怒られる、信頼を失う、もしかしたら絶交を言い渡されるかもしれません。約束という言語行為によってその場にいた人に「9時に新宿にいる“べき“」という規範が生まれたのです。

規範の書き換えは直ちに物質的な現実が書き変わることを意味します。新宿9時という約束によって新宿に9時にいるべきという規範が生まれ、それによって9時に私はお布団の中ではなく新宿駅にいるようになります。クビにされる言語行為によって、言い渡された人は翌日から会社にいないべきになり、代わりに翌日は出勤するはずだった時間にお布団の中にいるかもしれません。

次回予告

分量が多くなるのでここで切ります。続きの記事では、発話の効果が聞き手の解釈uptakeに依存することを論じ、その結果discursive injusticeに結びつく様を描きます。

脚注
(*4) うかつにも「彼女」と書こうとしてしまいました。ククラさんのPronounはthey/themなので、ククラさんの知らない言語とはいえど彼/彼女の呼称は失礼ですね。ジェンダーニュートラルな代名詞が日本語にもあるといいのですが、、、
(*5) 言語行為論に明るい方はこの解説を雑にお思いになるかもしれません。言語行為といったときに、発話/発話内/発話媒介行為locutionary / illocutionary / perlocutionary actを含めた広義のものと発話内行為のみを指す狭義の物があります。ククラ氏の論文では、発話内と発話媒介行為を指すと考えるのが妥当です。本人は、発話内と発話媒介という区別は成立せず、その発言が遂行的に社会的な文脈や慣習にもたらす影響performative forceとして統合的に理解すべきという立場をとっています(454ページ参照)。



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