出来ることが増えるようになるのは、楽しい
「何が」と明白に掴めないまま
ここ数年遅々として進まない感覚がありました。
日々平和なことはありがたいのだが退屈であることも否めなくて
かと言って新しいことに踏み出す勇気が分かりやすく出なくて
せっかく大金を投入して一年前に購入したやりたいことを叶えるためのツールも
途中で放り出したまま見てみぬふりをしている。
かなりな大金だった故の罪悪感の気配を感じると
「仕方ない、気が向かない時にやってもしょうがないし。」
「今はその時じゃないし。」
「やっててしんどいってことは無理ってことだし。」
「きっと大金を払ったって大丈夫っていう経済の学びのためだったんだよ。」
なんて。
ほんと、言い訳無尽蔵メーカーな自分が顔を出す。
あげればキリがないほどの言い訳を
丁寧に積み上げて積み上げては隙間なく自分を取り囲み
その言い訳の壁にぐるりと囲まれすっぽり収まって周りから隠れていた。
けれどもとうとうやってきた。
「このままじゃもうダメだよ」
と終了勧告されているとわかる出来事。
下手をしたら命に関わる出来事。
わたしの命じゃない。
子供の命だ。
わたしの命はどうにも重く捉えられないふしがあるけれど
子供の命はやっぱり堪える。
ああ、もう「このまま」の終わりがすぐそこだ。
と心は気づいているけれども
頭は「まだいける」とわたしを騙そうとする。
言い訳の塀に囲まれて大人しく収まっていれば外からは見えないじゃない。
誰かにぶら下がっていれば自分で動かなくていいじゃない。
人の後ろに隠れていれば他の人と関わらなくていいじゃない。
だけど、そこには自由もないじゃない?
周りから見えないってことは自分からも外は見えないし。
依存は楽だけど自分の力はどんどん弱って自力で動けなくなるし。
人との関わりをただただ避けていたらコミュ力蒸発して孤独感に飲み込まれるし。
何よりそれって自分という存在を実感できるのかい?
それを続けて「楽しい」って本気で笑えるのかい?
それでもどうしても一歩が出せなかった昨晩、
急に、ふと、とある文章が目に止まって思い出したことがあって
読んだ途端、心にどんっと響いて目が離せなくなった、一文。
「楽しいですよね。出来ることが増えるようになるのは。」
・・・。あぁ、そうだったな!と。
今までの人生でもやりたいと思ってトライしたのは良いが
やり始めたら全然うまくいかなくて、わっけわからなくて悩んで
「やっぱ向いてなかったのかも」なんてすぐ思って
でもそれを超えて身につけたものは今でもしっかり自分の中に根付いてて
今でもずっとわたしを助け続けてくれる
大切な知識や技術たちだ。
今は当たり前にわたしにあるそれらが
そういえば最初はしんどいことがいっぱいあって
挫折感に負けそうになったことを
ふっと思い出して。
そうだ、新しいことができるようになるのは
身につくまでの修練や試行錯誤はたくさんあるけれど
それを経た先には
必ず楽しい未来が待っていた。
身についたものが嬉しくて
できるようになったことが楽しくて
「自信」と言うものをたくさん感じられた。
とにかく、楽しかった。
それをすっかり忘れていた。
身につけたそれが「役に立つ」かどうかじゃなくて
出来るようになる事が
とても楽しいんだ。
ある瞬間から「出来てる!」と実感できるあの瞬間。
そこからは加速していくあの感覚。
それを感じるためだけに新しいことをするのも、全然アリじゃないか。
だからとりあえずやってみよう。
うまくいかないことは百も承知でやってみよう。
どうせまたすぐ「しんど。。。」ってなるのは目に見えてるがやってみよう。
なんだかんだ言ってさ
過去一強烈体験だった
妊娠・出産・育児
よりは楽だって。
そこを乗り越えた自分を
思い出せよ。
大丈夫。
経験は宝だから。
何一つとして無駄なことは一つもないんだから。
ここ数年の抑圧の日々さえも
わたしにとっては宝物になり得るのだ。
今までだってそうやってきたじゃないか。
自分以外の人のことを気にしすぎてて
ちょっと忘れちゃってただけだよ。
ここでこうやって思いのままに言葉を紡いでいることで
頭がスッキリするからこそ
気づきける事ができた。
本当、この場所に感謝だ。
さぁ、行きましょう。
Ready to GO!