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超短編小説:煙を捨てる
「ね、てっしー、今度どっか行こうよ」
大学生の夏休みは長い。あと半月もある。すっかり退屈した私は、ガラガラの学食で親友のてっしーに提案した。
チキン南蛮定食の大きいチキンを箸で切り分けるのに苦戦しながら、てっしーは「うーん」と、明らかに気乗りしていない声を出す。
「近場で良いから、ショッピングとかドライブとか。車なら私が出すし」
ようやく切り分けたチキンはひとくちにしてはやや大きいが、てっしーはまるごと頬張った。
「思い切って、泊まりがけもありだよね。県外に出ちゃう?」
てっしーはチキンを一生懸命噛んでいる。しばらく会話はできそうにないので、私は期間限定のガパオライスを口に運んだ。
「お金無いわ」
まだ若干もごもごしているてっしーの言葉は、自分への返事なのか一瞬わからなかった。
「お金無い?」
「うん、お金無い」
ごくっと水を飲み、てっしーの声はようやく鮮明になる。お金、無い、とてっしーは改めて繰り返した。
「てっしーさぁ、いつもそれだよね」
「しょうがないよ。お金無いんだし」
お金無い、お金無い。それが、てっしーの口癖だ。
苗字が手嶋だから、てっしー。なんとなく気が合って、大学一年生の頃から仲良くしている。
真面目で頭が良くて優しいてっしーだが、ことあるごとに「お金無い」と言うのが玉にきず。何をするにも誘えば一度は「だってお金無いし」と言われると、例えそれが本当でもちょっとうんざりすることもある。
実際、「どうせてっしーは『お金無い』しか言わないじゃん」と彼女と距離を置き始めた同級生もいる。そして何より不満なこと。
「そんなにお金無いんなら、煙草やめたら?結構するんでしょ」
お金が無いわりにヘビースモーカーなことだ。煙草が一箱いくらするのか知らないが、コンビニに行くたびに買っているそれを止めればずいぶん違うだろうに。
「無理だよ。あれは生活必需品」
いつもなら、つんとしてそう言うてっしーだが、なぜか今日は違った。チキン南蛮をつつく手を止め、ぼんやりとこちらを見る。
「止めようかな。煙草」
「えっ」
驚いて声をあげると、てっしーは瞬きしてしっかりと私を見た。
「煙草、止めようかなって」
「…なんで」
「なんで、って。チカちゃんが言ったんでしょ。それに、煙草が体に悪いのは知ってるし」
「そうだけど…」
「これで終わりにするかなぁ…」
てっしーはポケットから煙草の箱を取り出した。いつも持ってるのか。
「あと六本しかない」
ひどく悲しい顔をして言うので、思わず笑ってしまった。てっしーも、クスッと笑う。
「まあ、良い機会かな。禁煙するか」
大切そうに煙草を仕舞い、てっしーは明るく言った。
「で、チカちゃん、どっか行く?」
「え、いいの?」
「近場のあんまりお金かからないとこで」
私たちは、チキン南蛮定食とガパオライスをそれぞれ食べながら、今後の夏休みの予定について話し合った。来週末、近くをドライブしてカフェでランチ、という、私にとっては少し物足りない計画でまとまり、学食を出る。
「やっぱり、今から禁煙しよう」
てっしーはつぶやくように言うと、ゴミ箱に六本残っている煙草の箱を投げ入れた。驚く私に、
「良い機会だからね」
と、笑顔を向けた。
あれからてっしーの禁煙は続いているのか。気になるけれど、会う日に聞けば良いか、と思っていたある日。私は想像以上に早いてっしーの禁煙失敗を知ることとなる。
「涼しくなってきたから、もうここでも吸えるよね」
近所のコンビニを通りかかったとき、耳に入ってきたのはてっしーの声だった。
「そうだね」
一緒にいる男の人は…、見たことはある。たぶん同じ学科の同期だけど、名前がわからない。コンビニ前の喫煙スペースで、ふたりは煙草を吸っていた。
「てかさー、禁煙するんじゃなかったの?」
てっしーが男の人に訊いた。てっしーこそ、禁煙するんじゃなかったの?
「しようと思って宣言したけど、無理だったわ。手嶋は?しないの、禁煙」
「えー、するわけないじゃーん」
そんなことを言いながら、ふたりは笑っている。
「そういえば、大学の裏の居酒屋、喫煙席あるらしいよ」
「えっ、そうなの!?」
てっしーが食いつく。
「じゃあ、今度行こうよ!いつ空いてる?」
身を乗り出すように、てっしーが男の人を誘った。こういうときは「お金無い」って言わないんだ。
その瞬間、ぼんやりそちらを見ていた私と、てっしーの目が合った、ような気がする。気付いたのか気付かなかったのか、てっしーはすぐに目をそらした。
いつまでも盗み聞きしてたってしょうがない。てっしーにはてっしーの価値観が、人間関係があるんだから。
私はさっさと歩き始める。
ふと空を見上げると、ふたりの吐いた煙が空に舞い、ゆっくりと消えていくのが見えた。
私のなかの「何か」も、煙のように、ゆっくりと消えていくのを感じた。
※フィクションです。
学食のチキン南蛮、めっちゃ好きだった。