小説:変異(上)
2XXX年。
遠い昔から危惧されてきた地球の大気汚染は、相変わらず続いている。しかし、生命とは不思議なもので、長い間汚れた環境に置かれていると人間も自然も次第に順応してくるようだ。絶滅した生き物もいるが、大半の生き物は普通に生活している。
とはいえ、地球、特に日本は数世紀前からある問題に悩まされてきた。
続く大気汚染のせいなのか、度々起こる戦争や疫病のせいなのか、単なる突然変異なのか、さまざまな生物の変異型が現れるようになったのだ。専門家にも原因はわからないらしい。別に、ちょっと奇形だとか色が違うとかなら何も困らない。が、ばかでかいとか毒があるとか人間を攻撃するとなれば、対処しなくてはならない。
昔は変異型の生物が現れると、自衛隊や猟友会、役所なんかが対処してくれていたようだ。しかし、次第に対処が追い付かなくなり、変異生物駆除専門の公法人が立ち上げられた。初めは変異生物の駆除だけ行っていたのに少しずつ規模が大きくなり、今では『調査課』やら『人事課』やら『復興支援課』やら、さらには音楽隊まで抱える大きな組織になっている。
そして俺、レイ・マツムラは、その中の『環境保全課』に所属している。
環境保全課、通称『戦闘部隊』。
つまり現在、実際に変異生物と対峙し、駆除を行っているのは俺たち環境保全課なのだ。もともとは変異生物と戦うためにつくられた職なのに、環境保全課はキケンとか汚いとかで人気ワーストの課である。
俺はそんな『戦闘部隊』の中で、短剣を使った接近戦を得意とする近距離部隊に属している。近距離部隊は変異生物と直接触れることもあり、いちばん不人気だ。
でも、そんなこと俺には関係ない。この道10年以上の中堅だ。俺は、自分の役割を全うするだけ。さっきも山に現れた巨大カエルと戦ってきたばかりなのだ。カエルのねばねばした粘液をシャワーで洗い流し、戦闘の際採取したカエルの細胞を『調査課』に持っていく。
採取した変異生物の一部を『調査課』のオオニシ博士に渡すのも俺の仕事だ。
「マツムラくん、今日もご苦労様」
「いえ」
無事、オオニシ博士にブツを渡し、俺の今日の仕事は終わりである。早く帰って酒でも飲むか。と思いながらエレベーターを待っていると、
「お、マツムラくん、ちょうどよかった」
と、課長補佐が現れた。その隣には、見慣れない若い青年が立っている。
「お疲れ様です」
「お疲れさん。ちょうど、君に話があったんだよ」
「何でしょうか」
課長補佐は、ちらりと隣の青年を見た。青年は一歩前に出ると、よく通る声で言った。
「明日から環境保全課、近距離部隊配属となりました!ケント・キリヤマと申します!よろしくお願いいたします!」
そして、勢いよく頭を下げる。
明日から配属?こんな時期に?
驚いていると、課長補佐が耳打ちした。
「交流人事、だよ」
「ああ、そういうことですか」
交流人事。お互いの課の職を理解し、協力し合う精神を高めるために、最低半年の間別の課に異動する、と表向きでは言われている。
しかし、実際は違う。簡単に言えば左遷だ。
他の課で何かやらかしたり、管理職に嫌われたりした人間が、環境保全課に送り込まれてくるのだ。このケント・キリヤマという青年、環境保全課への異動だけでなく近距離部隊というのだから、よっぽど大きいことをしでかしたのだろう。
「マツムラくんのこと信用してるからさ。しっかり面倒見てやって」
「承知いたしました」
じゃ、と課長補佐は俺の肩を叩き、ケント・キリヤマと共に去っていった。面倒見て、と言われてもな。俺は俺の仕事をするだけだ。
翌日、職場に行くと、キリヤマはまだ来ていなかった。しかし、すっかり彼の話題で持ちきりになっている。すぐに同僚が話しかけてきた。
「おいマツムラ、聞いたか?」
「ああ、交流人事だろ」
「そうそう。そいつ、本部の広報課だったらしいぞ」
「本部の広報課!?」
なんと、首都にある本部の人間だったのか。しかも、広報課。それがこんな地方支部までとばされるなんて、気の毒なことだ。
「一体何をやらかしたんだろうな」
同僚はにやにやしている。そのとき、
「おはようございます!」
と、大きな声が響いた。
「本日からこちらに配属となりました!ケント・キリヤマと申します!」
噂をすれば。
小柄だがやたらと姿勢がよく、大きな目を見開いている。顔は整っているが「ただものではない」雰囲気が激しく出ている。若いのに地方にとばされるだけあって、やばそうなやつだ。できれば関わりたくない。
「マツムラさん、よろしくお願いします!」
しかし、人生簡単にはいかない。キリヤマのデスクは俺の隣だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
環境保全課、つまり戦闘部隊とはいえ、毎日常に戦っているわけではない。むしろ、月に戦っている日の方が少ない。そりゃそうだ、毎日毎日変異生物が現れていては人類もやっていけないだろう。
基本的には訓練をしたり、調査課と共に変異生物の調査や研究を行ったり、生物を駆除した時の報告書を作成したりしている。俺は昨日倒した巨大カエルの報告書作成に追われていた。キリヤマはというと、隣でマニュアルを読んだり、これまでの報告書の記録に目を通したりするのに一生懸命のようだ。体力のなさそうな見た目なので心配だったが、本人曰くある程度の訓練は本部で済ませてきたらしい。
「昨日のカエル、どんなものだったんですか?」
読んでいた資料から顔をあげ、キリヤマが尋ねてきた。
「ああ、ただのでかいカエルだったよ」
「でかいだけですか?」
「俺の見る限りはでかいだけだったけどな。詳しいことは知らん。今頃調査課が調べてるだろ」
「マツムラさん、変異生物の生態に興味はないんですか?」
「ないね。俺は俺の仕事をするだけだ」
「でも、おかしいと思いませんか。ただのカエルが巨大になるなんて。そんなことあります?」
「実際に昨日あったんだよ。何世紀も前から、この世界は変異生物に悩まされてるんだから」
「何世紀も前から変異生物が現れて、ずっと研究を続けているのなら、そろそろ謎が解明されても良い頃だと思いませんか?」
キリヤマは例の大きい目で俺を見つめている。気持ち悪いな。変異生物の謎とか生態とか言われても、俺にはどうでも良い。
「そんなに興味があるなら、調査課に配属されると良いな」
まあ、交流人事中だからすぐには動けないだろうけど。
「いえ、僕は広報課を志望しておりますので」
「あ、そう」
キリヤマはまだ話したそうだったが、俺は切り上げて報告書の続きに取り組んだ。相手にしているだけ面倒なことになる気がする。
「おい、マツムラ!聞いたか?」
キリヤマが配属されて数日。出勤してきた俺に向かって、同僚が興奮気味に話しかけてきた。
「何を?」
「理由だよ!キリヤマがとばされてきた理由!」
「まだ聞いてない」
「やっぱりあいつ、やばいぞ!」
同僚はキリヤマがいないことを確認すると、声をひそめて言った。
「あいつ、本部で『陰謀論』を唱えていたらしい」
「陰謀論?」
「そう。変異生物出現の原因は人類だ、ってね」
「なんだそれ」
思わず笑ってしまった。
確かに、変異生物の存在には政府が絡んでいるとか、一部人類の策略だとか、そう言う人はいる。しかし、そんな人間がこの仕事に紛れ込んでいるのは驚きだ。
「街中でスピーカー持って『陰謀論だ!』って騒いだり、勝手に広報紙に載せようとしたりしてとばされたらしい」
「へえ。よくクビにならなかったな」
ちょうどその時、キリヤマの大きな「おはようございます!」が響いたため、俺たちの会話はそこで終わりとなった。
ケント・キリヤマ。なかなか面白い人間だ。関わりたくはないが。
「僕はやっぱり、変異生物には何か重要な問題が絡んでいると思うんですよ」
相変わらずキリヤマはしゃべっている。さすがに公に陰謀論は口にしないが、それに近い話ばかりだ。俺も聞き流すのに慣れてきた。しかし、いくら俺がスルーしていても、キリヤマのその態度に不満を抱く者は多かった。遅かれ早かれ、人事課に報告されるだろう。
「そういえば、僕が配属されてからまだ一度も出動してないですね」
「そうだな」
確かに、ここ最近は変異生物が現れていない。まあ、そろそろだろう。
そして数分後、案の定サイレンと共に
《変異生物発生、変異生物発生、環境保全課は、直ちに準備し、駆除に向かってください》
という音声が流れた。
「キリヤマ、初出動だな」
「はい!」
少し緊張した面持ちでキリヤマはうなずいた。
俺たちは素早く装備を身に付け、短剣を持つと飛び出した。
(続く)
※フィクションです。
一気に書き上げたのですが、長くなったので上下に分けます。