超短編小説:雨音を掻き消して
『台風、大丈夫?』
と関東に住む姉から連絡が来たのは、非常用持ち出し袋を引っ張り出し、母と避難経路を確認し終えたすぐ後だった。
『今のところ大丈夫。一応、実家にいます。お父さんは仕事です。』
簡単に返事をする。
役所勤めの父は昔から、地震や台風などの災害が起きると、避難所の関係やら何やらで出勤しなければならなかった。今回の台風でもやはり出勤になったらしい。
実家の近くに住んでいた私は、母がひとりになるのが心配で午前中のうちに帰ってきた。
姉には大丈夫だと返事をしたものの、不安ではある。
夕方になり、雨も風も明らかに昼間より強くなっている。避難指示はまだ出ていないが、きっと時間の問題だろう。
昔から私は、大雨や台風の時には決まって調子が悪くなるし、胸にざわつきを覚える。それはずっと自分が怖がりなせいだと思っていたが、どうやら気圧のせいらしい、というのは最近知ったこと。
でも、気圧のせいだろうが何だろうが、雨や風が激しく打ち付けてくる音は苦手だ。それに、普段は特別頼りにもしていないくせに、こういう時に父が不在なのはやはり不安を大きくする。
そんな時に、姉はいつもピアノを弾いてくれた。
いつもは優しい旋律を好む姉が、この時ばかりは強く、激しい曲を選んでいた。まるで雨の音を掻き消すかのように。
ピアノを弾いたからといって苦手な音が消えるわけでもないし、根本的なことは何も解決しないのだけれど、それでも私は姉のピアノに励まされてきたものである。
外を気にしている母は何も言わないが、目に不安の色を宿している。
私は立ち上がってピアノの横にある本棚に近付いた。楽譜がずらりと並んでいる。私のものも、姉のものも。曖昧な記憶をたどりながら、私は一冊の楽譜集を取り出した。
こっそり練習したものの、姉のようには弾けなかった曲。
まったく弾けないわけじゃない。
私はピアノを開き、楽譜を広げた。
そっと両手を鍵盤に置く。
相変わらず、雨と風は窓を殴っている。
少しで良いから、うるさい雨音と不安を掻き消すことができるように。
少しでも早く、この台風が消えてしまうように。
私は、祈りを両手の指に込めた。
BGM 台風/→Pia-no-jaC←
※フィクションです。
皆様、台風は大丈夫でしょうか。
私の住んでいる県はすでに暴風域に入っています。すでに雨も風もかなり強いのに、明日はもっと強くなるようです。現実逃避みたいな気持ちで書きましたが、やっぱり怖いですね。
皆様もお気を付けください…!
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