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短編小説:新しい夏

 大学生の夏休みって、もっとキラキラしてると思っていた。
 長い長い夏休み。帰省したり、友だちと旅行に行ったり、恋人と夏祭りに行ったり、そんなことを夢見ていた。
 しかし実際はそうはいかない。八月の暑い日、僕は朝からコンビニのレジに立っている。キラキラした予定は、ひとつもない。
 まあ、その方が良いのかも。こんな暑い日に、どこかに行く方がおかしい気がしてきた。お昼でバイトは終わりだし、カップ麺とアイスでも買って家でゴロゴロしよう。夏祭りに行って、暑くて虫もいるなか割高なものを食べながら人ごみをぬうよりよっぽど良い過ごし方なはずだ。

「いらっしゃいませ」
「あ、須藤くん!」
 午前中の、混み始める少し前。僕のレジに並んだのは、同じ学科の先輩だった。明るくて、目立っていて、僕みたいなやつにもフレンドリーに話しかけてくれる。こんなところで会えるなんて、ちょっとラッキーだ。
「朝から頑張るねえ」
「いえいえ」
「バイト、いつまで?」
「昼頃には終わります」
「そっかそっか…」
 先輩は少し考えるような顔をした。
「ね、須藤くん、そのあと空いてる?一緒に夏祭りなんてどう?」
 僕は耳を疑った。
 こんなことがあるのだろうか。先輩が、僕を夏祭りに誘ってくれるなんて!
 暑い日、人ごみ、虫、割高な食べ物。これぞ、夏の風物詩じゃないか!


 それからのバイトは全然集中できなかった。待ち合わせまでの時間は、長かったような短かったような。
 夕方の四時に、近くの公園、動きやすい服で、というのが先輩との約束だ。
 今日、お祭りがあるなんて知らなかった。それに四時というのは少し早い気がするが、そんなものなんだろう。公園が近付くにつれ、なんとなく人のざわめきが聞こえてきた。
「あ!須藤くーん!」
 先輩の声がした。そちらを向くと、浴衣姿の先輩…、ではなく、水色のポロシャツにジャージのズボン、という姿の先輩が、手を振っていた。
 向こうに見える公園には、それなりの人だかり。みんな同じ水色のポロシャツ。
 あれ、なんだか、嫌な予感。
「来てくれてありがとう!はい、これ、須藤くんのぶん!あっちのテントで着替えてね!」
 先輩から手渡されたのは、左胸に『にじいろひろば』の文字、背中に虹のイラストが入った、水色のポロシャツだった。

「須藤も先輩に騙されたか」
 テントには、同級生の友人がいた。彼もやはり、水色のポロシャツ。
「よくやるよな、『にじいろひろば』も」
 思わずため息が出る。『にじいろひろば』というのは、うちの大学の有名なボランティアサークルだ。近くの学童と連携しており、定期的に子どもが楽しめるイベントを主催している。所属している知り合いも結構いた。そして今日は『にじいろひろば』が企画したミニ夏祭り『にじいろまつり』があるらしい。
 僕と友人は先輩にまんまと騙され、スタッフとして呼ばれた、というわけ。
「あ、でも、先輩は『一緒に夏祭りなんてどう?』って言っただけで、嘘はついてないよな」
「そうだけど…」
 友人も、僕とまったく同じ誘われ方をしたらしい。恐るべし、先輩。
 テントから出ると、待ち構えていた先輩に、よく冷えたサイダーを渡された。
「来てくれてありがとね!ふたりとも似合ってるよ」
「はあ…」
「須藤くんには私と一緒に輪投げコーナーを担当してもらうから、よろしく!」
 勢いに押され、文句を言うタイミングも、帰るタイミングも失ってしまった。まあでも、先輩と一緒に仕事ができるのは、悪い気はしない。

「そんなに難しい仕事じゃないからね。お客さんが来たら輪っかを三つ渡して、点数に合った景品を選んでもらえば良いから。ゼロだったら、この白いカゴのなかの飴かシールか、どっちか渡してね」
 いまいち内容をつかめないまま、あたりは薄暗くなり、『にじいろまつり』は始まってしまった。ちらほらと、浴衣や甚平を来た小学生たちが集まり始める。
 どうしよう。小学生と関わったことなんてほとんどない。いくら先輩と一緒にいられるとはいえ、気が重くなってきた。帰りたい。
「輪投げ、したいです!」
 思ったそばから、甲高い声がした。見下ろすと、甚平姿のがきんちょが三人。
「…はい」
 とりあえず、真ん中のひとりに輪っかを三つ渡す。
「…ひとりいっこ?」
「いや、ひとり三個。順番に」
「どこから?」
「そこの、黄色い線。はみ出さないで」
 三人はわいわい言いながら、一生懸命輪っかを投げている。
「ねえ、ふたつ入ったよ!」
「えっと、その点数なら、ここから好きなの選んで」
「え、どれ?」
「ここから、ここまで」
 景品を指差すが、がきんちょたちはよくわかっていないようだ。
「ふたつも入ってすごいねー!おめでとう!この赤いカゴと青いカゴのなかから、好きなのを一個選んでね!」
 見かねた先輩が元気な声を出す。がきんちょたちはようやくわかったようで、やっぱりわいわい言いながら景品を選んでいた。
「須藤くん、もうちょっと、明るく、ね!」
 先輩は僕に耳打ちする。
 明るくもなにも、あんたに騙されて来たんだけど…、と内心思ったが、反論する間もなく次の
「輪投げ、やる!」
 が聞こえてきてしまった。

 あたりはずいぶん暗くなり、景品も減ってきた。輪投げコーナーには、ひっきりなしに子どもがやって来る。
 さすがに僕も少しは慣れてきた。輪っかを渡すときに「頑張れよ!」、景品を渡すときに「おめでとう」くらいなら、言葉をかける余裕もある。
「私、他のコーナーの様子も見てくるから、ちょっとここお願いね」
 やって来る子どもの数が落ち着いたタイミングで、先輩はテントから離れた。先輩もいろいろ大変そうだ。
 少しずつ、子どもの数が減ってくる。『にじいろまつり』も終わりが近付いているようだ。
「あの、やりたいんですけど」
 もうすぐ片付けかな、なんて考えていると、声がした。Tシャツに短パン姿の小学校高学年くらいの男の子が立っている。そして少年の隣には、
「あのポーチ、ほしい!」
 浴衣姿の女の子。仲良く手を繋いでやがる。なんだよ今どきの小学生。
「任せて、俺がとるよ」
 少年はかっこつけて、僕から輪っかを受け取った。どうやら女の子は景品のポーチが欲しいらしい。しかし、あのポーチを手に入れるとなると、それなりの高得点を狙わなくてはならない。
「はい、頑張ってねー」
 少年は緊張した面持ちでうなずいた。
 なんとなく僕もどきどきしてしまう。
 ひとつめ、ふたつめは、入ったもののそれほど高得点ではない。ポーチを手にするには、三つめでいちばん高得点に入れなければならなかった。
 少年の手がかすかに震えている。
 たかが輪投げで、と思ったけれど、彼の表情は真剣そのものだった。そうか、少年にとっては今この瞬間が一大イベントなんだな。
「肩の力、抜いて」
 声をかけると、少年はかすかにうなずいて、輪っかを投げた。

「やったー!すごい!ありがとう!」
 あの緊張感のなか、少年はみごとに狙った場所輪っかを入れ、ポーチをゲットした。女の子は本当に嬉しそうだ。ハグまでしてやがる。見ていられないな。少年は照れ笑いだ。
「ねえ、次はわたあめ食べたいな!」
 女の子はにこにこしながら少年の手を引いている。少年はずいぶんと振り回されているようだ。
「お兄さん」
 去り際、少年は僕を呼んだ。
「ありがとう」
 それだけ行って、彼は女の子と駆けていった。別に僕、何にもしていないんだけどな。

 大盛況の『にじいろまつり』は、無事に終わりを向かえた。僕と友人はなんだかんだ後片付けまで手伝っていた。
「ふたりとも!ありがとね!」
 帰ろうとすると、先輩が駆け寄ってきた。
「うちのサークル、夏休みはいろいろイベントがあるんだけど、帰省とか旅行とかで出られないメンバーも多くてね。ふたりが来てくれて、本当に助かったよ」
 騙されただけなんだけど、と思った僕の隣で、友人は
「こちらこそありがとうございます!楽しかったです!」
 と胸を張っている。こいつ、なんでこんなに良い顔してるんだ。
「そう?それならよかった。でね、次は再来週に水族館に行くんだけど、よかったら…、」
「俺、行きます!」
 友人は食い気味で答えた。今日のお祭りがよっぽど楽しかったらしい。
「本当?嬉しいな!須藤くんは?」
「僕は…、予定確認して、連絡します」
「わかった!ありがとう。無理はしないでね」
 じゃあ、今日のお礼!と、先輩から袋いっぱいのお菓子やアイスを受け取り、解散となった。


 一人暮らしのアパートに着き、先輩からもらったアイスを食べながらスケジュール帳を開く。再来週、水族館の日は、コンビニバイトが入っていた。
『すみません、その日バイトでした』
 先輩にメッセージを送ってスマホを置く。少しだけ、がっかりしている自分がいた。
 アイスを食べ終え、ベッドに寝転ぶ。
 ああ、今日は本当に疲れた。
 目を閉じると、あの少年の姿が脳裏に浮かんだ。少年、お祭りを楽しめただろうか。あのあとも女の子に振り回されたんだろうか。
『お兄さん、ありがとう』
 少年の声がふとよみがえる。
 僕は勢いよく起き上がり、スマホを開いた。まだ既読のついていないメッセージに、急いで付け足す。

『他にもイベントあれば、行きたいです』

 こういう夏も、ありかもしれない。







※フィクションです。
 サークルの勧誘において、あとひと押しで来てくれるのか、引かれてしまうのか、という見極めが本当に難しい。






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