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【マイノリティと小さな声】テスト監督の悟り

To be yourself in a world that is constantly trying to make you something else is the greatest accomplishment.
- Ralph Waldo Emerson (エマーソン) -

絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で本当の自分であること。それは、もっとも高潔な偉業である。

 7月初め、国内の多くの高校は1学期の期末テストの時期を迎えていることと思います。学校が再開して一か月というスピード試験。新学期と期末が一食たでやってきて、生徒にとっても教員にとってもまさに盆と正月。そして私の勤務校でももれなく、期末テストを迎えていました。

 現代文のテスト監督をするのが好きです。生徒達が消しゴムを落としたり具合が悪くって手を上げたりしないか注意を払いながら、ではありますが、評論や随筆や小説の言わんとすることに、生徒達と一緒に思いを馳せる。自分も高校生として読んだ、中島敦の山月記が入っていたりする。それから倍くらいの歳になって読んでみると、人間の阿頼耶識、って先生が当時おっしゃっていた心理の描写に唸らされつつ、経験的にそうだなー、と頷く部分が出てきているから不思議だ。

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 さて、ある時の現代文に蜂のコロニーに関する評論文が出題されていた。ミツバチは通常、広大で際限ない山谷から蜜を集めてくる。その移動時間や探索時間の無駄を省こうとある蜂のコロニーを蜜たっぷりの花々で埋め尽くされたビニールハウスで飼った時、何が起こるか、を述べ、それに考察を加えていた。

 何が起こるか。しばらくするとコロニーが崩壊する、ということだ。どういうことだ(ウマーベラス風)?――休みなく蜜を集め続けた働きバチ達は、疲労回復が追い付かず寿命を縮め、それらの成体の死亡に幼虫の羽化による人員(?)補充が追い付かず、結果としてコロニーの働き手がいなくなりコロニー崩壊に至る。疲労は筋肉の活動により乳酸が生成されたものが筋肉に留まっている状態で、筋肉により個体を運動させている地球上の動物には避けられないことだ。そして、それは休息により回復する。

 筆者の言いたいことはこうだった。休息している要員――つまり、一見その個体が所属している社会で役に立っていない個体は、世代交代や社会の危機の必要要員である。反対に、休息要員を許容できない社会は崩壊していく。

 そして私は思った。「休息要員」が暗示するものは何か?――それは、生産性のせの字も想い致すことなく無邪気に遊ぶ子どもかもしれないし、障害を持ち支援を必要とする人かもしれないし、発達障害や何やらで現存の社会の枠組みにはハマれずに独自の生き方や生きる場所を模索している人のことかもしれない。

 「働きバチ」が暗示するものは何か?――もしかしたら、今の社会に上手く適応してそれを支えるマジョリティの人かもしれない。確かに彼らは今の社会経済を動かして多くの人の生活を支えているという点で、尊い。けれどそのマジョリティがマイノリティを社会の無駄な要因だと排除したらどうなるだろう?――崩壊、するんだと思う。

 それはこうも言い換えられる。権力を持つ者が持たない者の小さな声を潰しにかかったら?それは、間違いなく砂上の楼閣を必死にガラスケースに入れて守っているようなものだ。

 もう一つ、自分の傷が痛むのを覚悟で踏み込んでみる。

 自分の中の小さな声――メインストリームにそぐわないような、自分の中のマイノリティ・少数派の声を、自分の中の大きな声――社会のフツウやジョウシキ――に従わせ、小さな声に白いテープで口封じをしていたら?実際、私の中にもフツウを求める大きな声が居る。

 だけれどそれだけに従っていたら、わたしたちは生きる屍のような人生を自分に歩ませることになるだろう。

 わたしの中のマイノリティ、あなたの中のマイノリティを尊重できますように。もしそれができたら、少数派の嗜好を選ぶ人々にヘイトの感情を抱くこともなくなるし、皆ハッピーになると思うのですが。

 どうしてこうも地球の人間はねじれてるんだろう?



ヘッダーの写真は時事通信よりお借りしました。こちらもぜひ読んでみてください。世界は民主主義に向かってるんじゃなかったのかな?現代史でそんな感じで習ったのは、嘘だったのかな。

#人は再生する #マイノリティ #香港 #ミツバチ #ソレデモシタイ


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