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アーユルヴェーダと揚げ餅の間。

つんつん、と心の表面をつっつくような感じで、文を書き出してみる。
ほんとうは、あ!これ書きたい!っていう閃きを、ダダダーッと文字化していくのが好きだ。
でもこの頃は、そういうのがめっきり降りてこない。

ピッタ・熱 の季節がいくばくか急に終わりを告げ、
すっかり カパ・水 が増えてきている。そいつが寒さのなすがままのからだに滞留して、停滞・不活・重たい 体感がある。

元々の体質のヴァータ・風 も、低温と乾燥で木の葉のようにサァッと舞い上がり、落ち着きを知らない。神経がチラチラと飛躍しながらあちこちへ気が行き、集中が難しい。まるでLEDの灯りみたい。湿熱じゃない、遠赤じゃない、電子レンジみたいな分子運動による発光。
ものごとはじっくり、あたためて美味しい。

IHのすぐ横でカセットコンロで沸かしたお湯で淹れた、朝のお茶を呑みながら、そんなことを思い、書いてみている。

7年ほど 朝はこれじゃ、と呑んでいたミルクティーではなく、緑茶。

いくらインド圏文化にアーユルヴェーダ、の叡智に惚れ込み、未だに心惹かれ気づきをもらいながらも、まわりまわって緑茶を呑んでいる。

お茶の共は米菓。揚げ餅の類がとても好きらしいことが、この歳で分かった。不足しがちな油分を補っているのか、いずれにせよ、生まれ育った文化圏の主食、staple foodは米 であり、麦じゃない。ここ数千年の流れで、自分のからだはそういうふうにできているみたいだ。

身土不二、ってやつか。
アーユルヴェーダの理論も、わたしの生まれ落ちたのはガンガのほとりでもブラマパートラの上流でもジャムナの集水域でもなかったのだから、広瀬川流れる岸部、拡大して本州のこの島・土地で採れたもので、実践してゆくのがよいのだろうな。

…どうやら私は、おりこうさんでいたいみたいだ。
できる、ダイジョウブです、文章だったらきれいにまとめる。

だけど、心の中はそうはゆかない。
殺伐とした感情を抱くこともあり、そういうものを後悔したり、否定しがち。

感情自体はいいのだよ、それをどう表して、人にどういう形で伝えるのか。伝える必要性や心の底の意図も含めて、そういうところを、ちょっと解像度を上げながら寄り添ってあげてね。つきはなさずに。

そういうことをうまくやりたい、2014年初冬。
(それにしても秋はどこへ?だなぁ…)



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すかーれっと/Scarlett
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