かみひとへ🌸<メンタルを病む、は正常範囲――病んだら、どうするか?>
メンタルを病む、って聞くと、当事者じゃないとすれば何だか触れてはいけない話題のような気がするし、当事者だとすれば何だか病んでしまう自分の方に非があって後ろめたいような気がしませんか?
私も、そんな感じがしなくもなかったんだけど、気づいたんだ。
それは、違う。
社会の方「が」おかしいんだ。
声の大きい一部の人に合わせて人間の自然な心や毎日の生活の営みも無視して、突っ走ってる。
クレイジーなのは病んでしまうあなたじゃない、その他大勢の社会の流れを作ってるやつらの方だ!!!!
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というような確信を、3月くらいに、病んでしまった当事者として、書きました。
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そして、
あんたたちのせいだ!!
と開き直れたとして、
じゃあ、じぶんは、どうしたらいい?
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まずは、自分という貴重な命の箱であるからだとその脳機能や感覚を取り戻すことに、専念したらいい。もう、それはこの身体を預かった自分という理性の義務であるとすら、言えると思うのです。
胸張って、休んだらいい。
この社会の歪みを真正面から受けて、幾分かきっとあなたは、あなたの身体の中でそれを緩和した。緩衝帯になったったんだ。堂々と、そのお役目に幕を引いて隠遁してセカンドライフとしての療養生活を送ったらいい。
それで、ある程度回復してきたら(それまでには年単位の時間がかかるかもしれないけれど、それでいい)、どうしようか?
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クレイジーなのは、病んでしまうあなたじゃなくて、その他大勢の社会の流れを作ってるやつらの方、だった。
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じゃあ…?
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「その他大勢の社会の流れをつくってるやつら」の一人に、自分が加担しない、と肚をくくるんだ。
そのために、自分をこうまでした社会っていうものを、芸術なり学問なりで、見極めるんだよ、【自分の得意なところ】を使って。
私は、「特別支援教育過程」における「発達障害」にまつわる学問の最新の知見と、英語のせんせいとして教育現場に自らが立つこと、そしてやっぱり特性をちょっと抱えた娘達の子育て、がそれだった。
それがYouTubeなりstand FM(←最近はじめました)なりnoteなりその他ブログなりのソーシャルメディアでの発信を媒介にしてもいいし、そうして似たような人とつながって、仲間をつくればいいんだ。そうして、心が支えられてゆく。
その中で、気づきがある。
私の中では、最近、いかなる障害も人災だ、って心から腑に落ちたのが、一番の発見だった。
そうしたらね、自然に考えるんだよ。
どうしたら、後進が、自分の子ども達が、血のつながりに関わらず今から大人になる、そして生まれてくる子ども達が、どうやったら自分みたいなしんどい思いをしなくって済むだろう、って。
自分がされたことを同じように後世に返して負の連鎖をしていたのでは、あまりにも頭が悪すぎる。
少しでも、自分の余裕のあるところへ目を向けて、そこに手を合わせて、拝むような気持ちですがって、辛かった子どもの自分や大人になってからの自分に、してあげられることを、
人を蹴落として自分のプライドを保つようなことに天からの授かりものの身体とエネルギーを費やす前に、考えたらいい。
そうでなければ、受験教育なんてくそくらえだし、それによって練成されている現代の日本のヒエラルキーも、それの上の方でのうのうとしてる大人たちも、くそくらえだし、滅びてしまえ、(鬼滅の刃を振るってやる、)と怒りさえ感じてしまう。
(こうした怒りも、自分や周りを顧みない恵まれた大人も含めて、鬼は人の心の中にいるのじゃね…!)(ついでに私の刀は鉄珍さんの打った蜜璃ちゃんのしなる刀だから❤❤)
乙武さんが、こんな記事を書いていらして、インスピレーションを受けて書かせていただきました。
乙武さん、生きててくれてありがとうございます。中学生のときに廊下の踊り場に貼ってあった『五体不満足』のポスターに惹かれて同書を読んで感動してから、なんとなく応援しております。どうぞ、しぶとく強く、時に弱さも見せながら、どうぞますますご活躍くださいますよう!
(個人的には、がんがん、こうしょくなところを見せて下さったら、良いと思っております!)
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クリーンさと健全さは、一般的に言われているタブーを踏まないことじゃなく、素の自分を分け隔てなくさらけ出すことでよっぽど潔く醸し出されるように、この5年ぐらいで、感じている。
清廉潔白さも、泥水のような欲も嫉妬も、紙一重
メンヘラも、元気ハツラツな煉獄さんのような人も、紙一重
どちらも受け入れにゃいと、蓮は片手落ちる。
水連の、根っこも花も直に手に取って、
眺めて親しんでいる途中でござる。
すかーれっと
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