憤りの根源~あべちゃんに物申す~
今朝、わたしは憤っていた。
他でもない娘たち二人に、憤っていた。
「どうして手伝ってくれないの?」
怒りで頭に血が上って、台所でワナワナしてどうしようもなくなったので、二階へ上がり、枕を束にした新聞紙でサンドバックにしながら、肚の底から出る感情に言葉を与えることを許した。
それは、次第に夫に対する憤りの様相を呈した。
「どうして寝てるの?手伝ってよ!家事、一緒に回してよ!私だって自由時間が欲しい」
家事のことから、家族やパートナーの日頃の自分への態度に変わっていく
「私の空間、侵食しないでよ!わたしには一人の場所がない」
「カシャカシャした音から一人になりたいの!ゲーム音もプリキュア音もファンとミラージュ音も、もうたくさん!わたしは静けさが欲しいのに!」
怒りは家庭から国家に敷衍される
「その30分であなたが幾ら給料もらってると思ってるの!修辞法を重ねて言葉の大風呂敷だけ広げて、支援の中身を渋るそのスピーチは私達の何の志気も鼓舞しない」
ここまで来て、玉ねぎの中心に突き当たる
「もっと、わたしを大切にしてよ!」
新聞ハリセンを置き、階下へ下り、娘たちに
「ママ、一人だけでみんなのためにお料理したりしてると、寂しいの!ママのこと、大切にしてほしいの!構ってほしいの!プリキュアばっかだとやきもち焼いちゃうの!怒ってごめんね!」
と言って、ぎゅーをした。
*
翻って、昨日の安倍首相の緊急?会見で、何に私は憤っていたのか。それは、国民を大切にしてくれる真摯な姿勢が、政策という行動レベルで伝わってこなかったからだ。
彼にはこう物申したい。
日本国民の長として、同胞を大切にしてほしい。そういう気持ちを持って、わたしたちのお金を使って欲しい。言葉で煙に巻くなど、微塵も考えて欲しくない。
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まずは自分から。わたしの感性という部分を、大事に、speak on behalf of her, 何より彼女の感じるところに、言葉を与えてやろう。一見温かい言葉の真綿で絞めるようなことはせずに、実質を伴って。