私は太宰治になれない。当たり前だろう。 最近(授業中に)よく太宰治の文章を読んでは、そんなこと私が何百年生きても言えないわ、、、とその文才に驚き、少し落ち込む。悔しいような気もする。 私が特に好きな文章を紹介しようと思う。 メンヘラ、というか自己肯定感が低かったり過去にトラウマを抱えている私にはこの文章がとても刺さった。なんというか、刺さった。刺さったような体感がした。この文章を見るたびに認めてほしい、認めなくてもいいから存在していても怒らないでほしいといった胸が苦しくな
私には好きな物事、人があまりにも多い。具体的に挙げるにはあまりにも多すぎる。 音楽が好きだ、好きなアーティストを挙げてしまえばキリがない。絵を描くことも、本を読むことも、可愛い女の子も、拙いながらに楽器を奏でることも文章を書くことも、ネットサーフィンをすることも大好きだ。 その中でも特に好きなのは多数の憧れている人たちの痕跡を隈なく手繰ることかもしれない。憧れている人のことをスマホの画面が手垢で埋め尽くされるまで調べたり、その人が書いたものを読んだり、書いてまとめてみた
私の通っている学校から少し離れたところには所謂自殺の名所というものがあった。 いつものように通学のために電車に乗った。前々から、死にたいとは思っていた。自殺に繋がる行動を繰り返していた時期だった。何の変哲もない登下校。それでも、電車に揺られながらふと思ってしまった。「このまま、死ににいこう。」と。 いつもの駅で降りた。切符を買い再入場し、停車していた先程まで乗っていた電車に再び乗った。 ふとスマホを見る。好きだった人、付き合っていたけど振られてしまって、それでも忘れられな
精神科の待合には普通に見える人がたくさんいて、みんな見えないところで苦しんでいる。私もきっとその1人なんだろう。ふと思った。 そうは思っても世間から見た私という人間は異常者であることに変わりはない。気づいた時にはあもう急に思考がありえないところまで飛躍しては整合性もなくぐるぐる回っていたし、皆には聞こえないものが聞こえるし見えないものが見えている、衝動的に危ないことをしてしまう。気分の上下が激しくて、気分のせいで外に出られない日だって時々ある。普通で正常だった時なんて私