閉ざされた時間(とき)
動き出す、きっかけ。再び動き出す時間。
ヲタ活は、わたしの中で昔から生活の一部として深く刻まれているもの。
特に、ライブに行き生音を浴びることは(地元、遠征も含めて)わたしの中でなくてはならないものだ。
どんなものを犠牲にしても、わたしの生活…人生において切っても切り離せないものがライブでありヲタ活だと言い切れる。
その位に、わたしのライフワークでは重要なポジションにある。
けれど、わたしが障害者雇用で就活すると決めた時からその思いは封じなければならなくなった。
そして、このタイミングでコロナの世界になってしまった。
コロナの世界になってしまったあの時、わたしはご贔屓メンバーに失礼なことをした。
そのことは、わたしが死ぬまで心の傷として残るだろう。
その時に、ご贔屓から完全にゴミ屑、バイ菌のように見られたことで、ご贔屓の本性や本音に気付けた気がした。
それは、ご贔屓はわたしのことを
「気持ち悪い」「勘違いブスストーカー」であるということ。
(これは前々からそうだったのだろう。)
結局は、SNSでマウントを取り続け(中には精神疾患ですと詐病かまちょをかまし、勝手に肖像権濫用してオカンアートでマウントを取るならず者もいる)、お金を積み続けコロナ関係なしにストーカーしまくる害悪ストーカー様の方がご贔屓にとっての愛する人であり【あなた】と呼ぶ人たちであった。
そう、わたしは【あなた】ではなかったということに何十年という年月を掛けて気付けたのだった。
まるで長年の魔法が溶けたかのように、わたしはもうご贔屓がどんなに語ろうが歌いかけていようが、いくら目が合ってファンサされようが…わたしにしてないしと誰よりも冷めた目で現場にいるようになった。
きっと、もうわたしのことだ!なんて投影することは死ぬまでないだろう。
逆に、冷静にステージとか色々見ることで、見えないものや他のメンバーを見る余裕も生まれている。
あれだけご贔屓にガチ恋なのに、まだ現場も行っているのに…楽しいけれどとても虚しく感じることも増えた。
わたしのこころが完全に死んだ(殺された)原因は、ご贔屓ではない。
けれど、そうなるきっかけの1つとしてコロナの時のご贔屓のあの日のあのことだということはハッキリ言える。
わたしは、後悔なく死ぬ為にもご贔屓にしっかり伝えておこうと思っている。
けれど、それはわたしが非人間のゴミ屑でバイ菌だと教えてくれたきっかけをくれたのである意味感謝を伝えることにもなるだろう。
そこまでは、まだご贔屓には伝えていない。
まあそれをご贔屓に手紙にして伝えてみたって、ご贔屓にはわたしの言葉は届いていない。
それに、直接手紙を渡せたところで、わたしの言葉に目を通してもいない。
彼が目を通すものは、害悪ストーカーの持て囃し続け彼に好かれようと必死に取り繕った言葉だけだろうから。
けれど、わたしはこのままでは終わりたくない。
やられたことは、きっちりと返させてもらう。
誰だろうが、それは変わらない。
正直、何も動いてはいない。
そして、わたしの言葉なぞ昔も今も未来も彼には届かない。
けれど、わたしの中ではもう一度時間(とき)が動き出すきっかけにはなったかもしれない。
昔のように好きな気持ちはあれど、もうあの頃の気持ちに戻ることはない。
非人間のゴミ屑だと、ご贔屓からも別の人からも突き付けられたわたしはあの頃とはもう別人になっているんだよね。
外見も結局ストレスでリバウンドしたし。
外見しか見ていないご贔屓には、わたしなんてより気持ち悪いゴミ屑に見えているだろうし。
それでも、わたしは自分のお金で楽しむだけだから。
これからも、マイペースに冷淡に眺めるだけ。
鬱陶しいフレネミーの対策も考えないと…ヲタ活したいのにできないって辛い。
長年好きでいても、わたしの存在は気持ち悪いゴミ屑だった。
ご贔屓の知るわたしは、もういない。
わたしがさっさとこの世からドロップアウトする為にも、早めにご贔屓さん…あなたには伝えておかないとね。
その時を、少しだけ動かせた【瞬間】。
長すぎた、再会の時間(とき)。