助け合い=配慮?
意思疎通がないと、悲観的に捉えるもの。
正直、わたしは、働いていてモチベーションを維持できず葛藤している。
それは、自分自身の業務遂行スピードの遅さであったり、自分だけ色々と詰め込まれ過ぎて追い付けなかったり…。
こころも、からだも、1回だめになった。
とはいえ、こころの方は常にどん底なので、そこにプラスした幹事ではあるけれど。
わたしが欠勤しても、仕事は止められない。
そんな時、上司、先輩、同僚がたくさん助けてくれた。
そこに関しては、本当に感謝の思いしかない。
わたしの体調を考慮してくださっていることも、わかる。
理由がなく、色んなことが動いていた。
意思疎通がないと、せっかく【わたしの為】を思って動いてくださったことが、わたしの中では悲観的に捉えることになる。
けれど、ふとした時の先輩の
だったり、上司や同僚のふとした言葉で、誰が休んでも良いように、助け合って仕事を回しているのかなと思えた。
見ていないようで、見ていてくれていた。
そんな感覚があった。
意思疎通がまだわたしには足りないと思う。
けれど、言葉がなくても助け合っているということも配慮ということになるのだろうか?
皆で、助け合い、補い合う。
この事自体が、仕事をする上で、チームで動いていくことで大切なことになるのだなと知った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?