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【note106枚目】ヘイケイ日記/花房観音

 推しの勇翔くんがソロで載っているJUNONを買いに行ったつもりが、目当てのものを見つけることも時間がかかる広い書店で、数秒で出会ってしまった。

 大好きないとうあさこさんと同じ媒体で公開されていた花房観音先生のコラム。いつ読んでも私がいると思っていたけど、本にまとまると何という事でしょう。自分だらけやないか。

 高木瑞穂さんの『売春島』という著書の参考書籍にあった『うかれ女島』を読んだのが花房ワールドのファーストコンタクトだった。その時の読後感は「この人なんか過去に男の人で痛い目見てんのか?」だった。男の人の描かれ方がなんというか、俯瞰で見て嘲笑してるような感触が多くて。でも、女の人たちにしても、男の理想などないと突き付けているような描写。官能とするには泥濘や湿度がなく、ミステリーというには繋ぎ目が粗く感じる。ジャンルで表すのは難しい人間劇を読んでいる気持ちだった。そのあとに読んだ『花祀り』は、団鬼六賞に掛かっただけあって官能の色が濃くて、私は恐ろしかった。登場人物が欲望の底なし沼に次々と沈み、また、引きずり込み引き摺り込まれてゆく。2作とも「欲望」や「願望」が主軸に置かれていて、それの周りで踊り踊らされる人たちが描かれていた。『ヘイケイ日記』を読むと、花房先生自身が踊り踊らされてきた道を歩んで来られた足跡が滔々と刻まれていて、読み進めるごとに他人とは思えない「自分」が点在していた。

 自己評価が低くて、自虐的。人に求められないジレンマを抱えながら、性的な事に興味が深い。その事にも悩む。自身を卑下する言葉や、先生の傷つきの跡が文字として表れる度に自分にも刺さってくる。求められる事に慣れていなくて、急激に視野が狭くなっていく一部始終は自分にも思い当たるところがあって目を当てられなかった。でも、求められるところまで自身の足で向かっていく行動力、私にはなかったな。さすがに出しどころは考えるけど、飲みに行った時とかは先んじて下ネタを口にして人の射程外に動いて行くところとかあるかもしれない。先走りすぎぃ!!そんなおかげで開通したトンネルも15年通行がない幽霊トンネルですわ!とか言っちゃう。

 ルッキズムについて先生が感じられている事も書かれていて、胸が痛くなった。「美人すぎる〇〇」がコンテンツの付加価値になる事は理解できる。「清純派AV女優」みたいに「なんでこの子がこんな人が」という矛盾が孕んでいるとさらに価値が上がるのも理解できる。でも、「デブスババアが官能書くな」は酷すぎて涙が出た。今その話関係ないやろ。『官能作家』というラベリングでキャッチーな言動や行動を求められて、苦悩されていた事も。どんな人が書いてたっていいだろうに。先生はよく作家です、と訂正されるそう。書いてるのは官能だけじゃないから。そこで思い出したのが、推しがいるグループが「アイドルじゃなくてエンターテイメント集団」と主張する事に対する、私自身が感じ続けていたモヤモヤだった。
 私は常々、「アイドルは最高のエンターテイメント集団である」と考えている。アイドルは歌を歌い、ダンスをし、芝居をし、バラエティ番組を沸かせる。芸術を総合的に体現できる素晴らしい人たち。CDを売るためにファンと近くあろうとする努力までしてくれる。それを何なの……芝居の粗さもパフォーマンスの粗さも芸の粗さも「アイドルだから」オメコ☆ぼしされてるだろうに…。とよく憤っていた。でも、なんでもやってますよ、そこだけじゃないんですよ、という表現の一面でもあったのかなと、本を読んでちょっとだけ考える面が増えた。先生はカテゴリーを縦に積んで何を下に見てるというわけではないとのことなので、グループの子らもそうであったらいいな。

 タイトルにもなっている「閉経」私にとってもそう遠くない話。期間でいうともう折り返しに来てる。従兄弟や友達が続々と出産という女にしか出来ない大仕事をやり遂げる中、私は毎月無駄なことばっかやってんなーなど思う。自分の面倒もちゃんと見られんのに、違う生命体の面倒を最低20年は見なければいけない。それも人と協働して、となると私にとってそれはとてつもない高さのハードル、むしろ壁。仕事をするためだけに子宮があるわけではないけど、私にその仕事はないかもな。

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