下田旅行-三島由紀夫メモリアル-
第二の故郷、下田
昭和39年(1964)から晩年(1970)までにかけて三島由紀夫は下田(静岡県)に夏の間逗留していた。そこで出会った人々、下田の海、太陽、潮風、浜、太鼓、若さ、山、あらゆるものが晩年の三島を形成し、彼をして「第二の故郷」とまで言わしめている。
三島の愛したマドレーヌ
そんな下田に少しの間だけのぞきに遊びに行った。時間の都合で十分に堪能できたとは言えないが、あのマドレーヌの名店、日新堂に立ち寄ることができただけでも大満足だ。
三島はこの店のマドレーヌを愛し、「このマドレーヌは日本一ですよ」と称賛したそう。
三島の親しき人
中に入ってみると、なんとも気さくな店主横山郁代さん。直接聞いてみると、若いころ実際に三島と話したことがある、どころか演劇のアドバイスをもらっていさえするという、三島を愛して病むくらいの私にとっては裏山の極みであった。というか、三島がつい去年(2020年)50周年で、自分とは時代的つながりがあるのだろうか、とさえ思われている中で初めて実際に三島と親しくされている方に出会ったというのには感奮してしまった。私も間接的ながらも三島と繋がった気がした。
三島を知る本
マドレーヌは当然だが、横山さんによる三島没後50年記念講演のスクリプト(「三島由紀夫の愛した下田」)と著作『三島由紀夫の来た夏』を購入した。直接サインもしていただけて、しかもその際、私の名前も三島と絡めて褒めてもらえてとても嬉しかった。
三島を愛する理由
・・・なぜ三島由紀夫をそこまで愛するのだろうか
三島は日本文学の寵児であり、政治の熱心な活動家であり、千差万別カルチャーの受容者であり、素直で純情な好青年であった。
内面のことを言えば、暗い知性と明るい感性を両方併せ持った混沌としたユーモアに溢れた人だった。
暗い知性と明るい知性のユーモア
市ヶ谷駐屯地のバルコニー上で演説をし、その後切腹。その当日に書き上げられた遺作『天人五衰』の最終章の一節「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている」と書く三島もいれば、
下田で三島をたまたま見つけてつけていた女子中学生(=横山郁代さん)たちに、急に振り向いてアッカンベーとやる三島、ゲゲゲの鬼太郎が大好きで、また、大好きなマンガを息子威一郎と取り合ってた三島。
愛すべき三島由紀夫
なんて深みがある人だろうか、愛さずにはいられない。
もっともっと三島を知りたいと思わせてくれた下田旅行であった。
最後に、横山さんの講演スクリプトから三島の言葉を孫引きしよう。
「若者は突拍子もない劇画やマンガに飽きた後もこれらの支えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すなわち決して大衆社会に巻き込まれることのない少数疎外者の鋭い荒々しい教養を」
Sincerely...for Mishima