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Photo by
ibaraki_nakai
31歳で父の成年後見人をした記録No.2
2004年
この時、私は27歳、父は55歳、母は53歳、妹は25歳でした。
私はこの年に結婚し、奥さんの家に入りました。
苗字が変わったのは男である私の方です。
この頃すでに父は言動が覚束なくなっていました。
数年にわたって通院を続けてやっと病名がわかったのがこの頃で、その病名はパーキンソン病の一種である“進行性核上性麻痺”といいます。
元気だった頃の父は地元の野球チームで4番を任されるくらいのスポーツマンでした。
そんな父がアラフィフにもかかわらず、ちょっとしたことで転ぶようになってしまいました。
現実をどのように受け止めれば良いのか、大きな戸惑いがあったことをよく覚えています。
また、しばらくわからなかった病名がハッキリしたことで少し納得できたと同時に、治らない難病であるということにショックを受けました。
この病気は10万人に1人の確率と言われましたが、なってしまったら確率の問題じゃないですよね。
55歳になった頃の父は会話がギリギリ成り立つくらいの状態はありましたが、まだ話をしようという意思が感じられた時期でもありました。
その次の年に、私には1人娘が産まれています。
一度だけ、父はぎこちなく初孫を抱えていた覚えがあります。
いろんな意味で冷や冷やしながら見ていました。
孫を抱くことができるってありがたいことなのかもしれません。
そして、ありきたりな言葉かもしれませんが、当たり前だと思っている日常が当たり前でなくなって、初めて幸せの意味を知るんだなと思いました。
毎日の当たり前に感謝することを忘れずに生きていきたいです。