『マチズモも削り取れ』(武田砂鉄/集英社)

女性として読むと、すっきり。ただ読んでいる途中で驚いたのが、この本は男性が書いているということ。本人が他の男性からよく叩かれるということを言っていたのも、なんとなく納得。
 「怒り」を原動力として、現状をぶち壊しに、社会の胸ぐらを掴みにかかっているような雰囲気で、喧嘩を見ている時のようなピリピリとした緊張感が最初から最後まで張り巡らされていた。言っていることは分かる。そして、ひとつひとつの問題に対して、とても誠実に向き合っていることも感じる。しかし、なんだろう、この違和感は。
 先日読んだ『キングコング・セオリー』とも似たような感覚。細かい怒りを積み重ねて、積み重ねて、おにぎりのようにして、形にしている。だから全体として形は分かるのだけれど、本質はそこか・・・?という気持ちになってしまう。もちろん、読んでいて、とても共感できるし、気持ちはいいのだけれど。
 同じ場所からジョブを打ちまくるのではなくて、一発局部に蹴りを入れる方法は無いのだろうか。ジョブが意味の無いことだとは思わない。ちょっとずつ崩していくことに、意味もある。蹴りも意味はないというか、むしろ悪化させるのかも。そもそも立つべき場所はそのコートなのだろうか。戦うべきことなのだろうか。。。

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