正義感を暴走させないように気をつけたい
業界の良くないところをさらすようで恐縮なんですが、これ、お客さまにも誤解を生んでそうだなと思うので書いておきたいと思います。
調律の時にピアノの中を掃除するか?しないか?と言う問題。
ここはそれぞれの調律師の考え方がけっこう出る部分で、それ自体は当たり前だし、良いんです。
それぞれの考え方があるんですが...
ピアノの内部にはホコリが溜まりやすくて、調律師によって対応は様々です。
この違いによって、たびたび良くないなと思うことが起こります。
1や2の考え方の調律師が、新しく任されたピアノが掃除をされていないのを見た時に、前任の調律師の2〜5の仕事を批判するSNSの投稿やお客さまに批判的に伝える行為です。
いや、厳密には2〜5のどれかわからないのにかなり強めに批判する、と言ったほうが正しいかも知れません。
断っておくと、これ僕も絶対にやってしまったことあります。言いたくなる気持ち、めちゃくちゃわかるんです。でもやっぱり良くないことだと思います。
大前提、掃除はピアノに必要です
美容院での最初のシャンプーのようなもので、これをやらずに他の作業をおこなっても効果が半減したり、ピアノにホコリが溜まったままではサビやカビ、虫の温床になったり悪いこと尽くしです。
ホコリが溜まったピアノを目の前にすると、正直まず思うのは「掃除、やってないんかい!」
でも冷静になると、前任の調律師がサボっていた(4や5の考え方)とは限らないんじゃないか?とも思うのです。
前任の調律師は3の考えで、お客さまに提案したけれど料金の関係で断られたのかも知れません。学校など少ない予算の中でピアノを最低限弾ける状態まで持っていこうとすると、掃除を切り捨てるしかなかったのかもしれない。それよりも優先すべき修理があったのかも。文脈を想像せずに前の調律師が悪だと決めつけ、お客さまにもそう伝えてしまうのは果たして意味があることなのかと。
ちなみに僕は2の考え方です。例えばアップライトピアノの鍵盤を外しての掃除までは無料(調律料金に含まれている)ですが、グランドピアノの鍵盤を外しての掃除は、再度取り付ける際に部品の微調整など責任が伴うので有料作業です。
さらに言えば、ホコリがいちばんの問題になるほど積もっていれば調律の時間を削ってでも掃除を優先することもあれば、他に優先すべきことがあれば掃除はしない回もあるような感じです。長いスパンではキレイにしていくのがベストだけれど、毎回絶対にやらないと、とは思っていません。
後任の調律師は強くなる
前任者と後から行った調律師では、どうしても力関係的に後からの調律師が強くなります。前の作業を踏まえてより良い作業をするのは比較的簡単ですし、いわゆる欠席裁判になりがち。
いや、掃除に限らず前任者の仕事がう〜ん、と思うことは正直ありますよ。
でももしかしたら今のピアノの状態は、前任者が1〜9まで積み重ねてくれたから自分は最後の10だけやれば良かったのかも知れない。
不具合A〜Yまでの可能性を潰してくれていたから、ちょっと見ただけの僕がZが原因だとすぐにわかったのかもしれない。
それを全部自分の手柄とするのはやっぱり違和感があるので、お客さまに説明する時にもその力関係はかなり意識します。
当然自分が「前任者」の立場になることもあるわけですし。なにを当たり前として、どう言う取捨選択をするかは自分にもすべての調律師にもそれぞれの考えと別々の状況があります。
調律師同士で馴れ合おうと言うことではなく
「なんで前任者は掃除をしなかったのか?」から、そのピアノにこれからやるべきことのヒントが得られるのではないかと思っています。
もしその理由がどう考えても「めんどくさいから」だった場合は...うん...。でも、目の前のピアノの過去の作業を責め立てても何も進まないわけで、心の中で「これからまだまだ良くなる余地があるの最高か〜」くらいで留めておきたいです。
そしてお客さまがこの一面だけを見て、
無料で掃除をする調律師=正義
無料で掃除をしない調律師=悪
と捉えてしまうと、「無料でなんでもやってくれる優しい人が良い調律師さんだよね」と言う風潮が生まれてしまいます。批判する方はそう言うつもりは無くとも、正義感が良く無い方に行ってるなあと思ってしまいます。
それらが結局まわりまわって、多くの調律師たちが困っている、有料の追加作業の必要性が伝わらないことや、適切な値上げができないことにも繋がっているのでは?と思うわけです。
そうならないように、久保帯人師匠のありがたいお言葉(ポエム)を胸に秘めていきたいです。
…あれ?もしかしてこの記事自体も...?