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誰かが手を入れないとピアノは整わない

ピアノと「時間」は切っても切れない関係です。

〈ピアノの演奏と言うのはいわゆる時間芸術〉

〈ピアノはメンテナンスをしない時間が長ければ長いほど悪くなっていく〉

〈新品のピアノが鳴るようになるためにも時間が必要〉

あたりまえすぎることですが、ふと思いました。そもそも「時間ってなんなんだろう?」

いろいろ調べてたどり着いたのはどうやら「エントロピー」という熱力学の法則が重要らしいこと。

なるほどエントロピーの観点でピアノを見ていくと色々と納得ができましたし、このイメージをピアノに向かうときに持っておくのはとても大事なんじゃないかと思いました。

エントロピーを扱った作品で有名なのは2020年の映画「テネット」
僕はアニメ「まどマギ」でエントロピーという言葉を知りましたが、そのときはなんとなくエネルギーの何か法則?くらいの認識でした。


エントロピーとは何か?

エントロピーとはかんたんに言えば乱雑さの度合い

秩序のある状態はエントロピーが低く、乱雑なものはエントロピーが高い状態です。

  • きれいな部屋(秩序)がちらかっていく(乱雑)

  • コップ(秩序)を床に落とすと割れる(乱雑)

  • 鉄でできた橋(秩序)が錆びていく(乱雑)

  • 公園の木(秩序)が伸びて形が崩れていく(乱雑)

  • コーヒー(秩序)にミルク(秩序)を入れると混ざっていく(乱雑)

すべてのものは時間の経過により秩序のある状態から乱雑な状態になっていきます。そして外からエネルギーを加えない限りもとには戻らず、エントロピーは必ず増大し続けます。(エントロピー増大の法則)

※逆に言えば、エントロピーが増大することそのものが時間の経過とも言え、時間が未来にしか進まないのもエントロピー増大の法則によるものです。

ピアノが狂うって何が起こってる?

楽器も含めあらゆる工業製品は、乱雑な自然界の素材(高エントロピー)を加工して秩序のある状態(低エントロピー)にして作られます。当然、放っておくとまたエントロピーは増大していきます。

ピアノは狂っていき、壊れていき、極端な話なにもしないで百年放置すれば自然に還っていきます。

ピアノが狂う=無秩序になっていくこと

これは日々ピアノをメンテナンスしている調律師の感覚からしても、ものすごくしっくりきます。そして逆に無秩序な方が力学的には自然な状態と言うのは、言われてハッとしました。

工業製品は自然に戻ろうとする

ピアノはエントロピーが増大しやすい

弦ひとつをとっても、本来はゆるんだ状態が自然である弦を1本70kgと言う力でまっすぐに引っ張って秩序を保っています。その力はピアノ1台の合計では16tにもなる大きな力。

また、物が多い部屋ほど散らかりやすいように、物体は多いほど無秩序な状態になりやすいです。1万点近い部品数でつくられているピアノはエントロピーが増大しやすく、秩序を保つために莫大な外からのエネルギーが必要です。

この、ピアノに秩序を与えるためのエネルギーがピアノの調律と言うことですね。

ピアノの調律はエントロピーを減少させる行動

ピアノの調律をすることでピアノ自体のエントロピーは減少します(物理の世界では作業者も含めた現象として考えます。調律師や使った工具のエントロピーはそれ以上に増えるので、エントロピーの合計は法則通り増大します)

楽器の中でもエントロピーが増大しやすいピアノだからこそ、ピアノ調律師と言う職業が成り立っているのも改めて納得。

ずれて乱雑になったハンマー(傾きや間隔がバラバラ)
傾きを直して秩序を取り戻したハンマー

ピアノのメンテナンスの難しさのひとつに、今日はどこまでで終わらせるか?という部分があります。

限られた時間の中で、手を入れるのが少ないと当然良くならないし、逆に中途半端に手を入れすぎるのも良くない結果に。その難しいヤメドキの判断として「秩序が取り戻せているかどうか」と言うのはひとつの判断基準になるなと思いました。

エントロピーを意識することでやることが明確に

秩序=力学的には不自然な状態と考えると、ピアノという存在自体そもそもが不自然の塊です。ピアノって、ものすごい力で自然に還っていこうとしているものを、外からのエネルギーでなんとか逆行させ続けないといけないものなんですね。

以前から調律1台ごとに命を削っている感覚がありました。自分でも「いやさすがに大げさだよな…」とツッコミを入れていましたが、調律師のエントロピーが増大している=死に近づいているわけで、その通りだったことが嬉しいやら恐ろしいやら…なるべく自分に負担をかけないために、工具やシステムの工夫は、エントロピーの増大を肩代わりしてもらうと言う意味での重要さを再認識しました。

そして調律はもちろんですが、持ち主の方が除湿機を使ったりすることも大事な外からのエネルギー。アイスを冷凍庫に入れるのと同じことで、手がかかるのはエントロピーで考えると当然ってことですね…

不自然なものである「秩序」がピアノのあの素晴らしい音色に繋がっていると考えると、ピアノとの付き合い方がより明確になった気がします。

エントロピーは色々なものの見方が変わってくるおもしろい指標だと思います。部屋やカバンの中がカオスになってくるのも、散らかってるわけじゃなくて「エントロピーが増大してるだけ」と思えば…なんか許される気がしますしね!



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つくし@ピアノ調律師の書斎
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