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理想のピアノはおいしいおでんのような。

調律が10年、20年と空いて久しぶりのピアノの手入れをする場合、最初の1時間は掃除に費やします。調律師それぞれにやり方があるので、僕の場合は、ですが。

鍵盤をばらして、支点の古い油を除去して、ホコリを掃除機で吸って、各接点に潤滑剤を塗って…ネジを締め直すところまで。これらはもちろんキレイにするためですが、それ以上に「部品同士を引き剥がす」ことを目的に掃除をしています。

長年放って置かれたピアノは部品同士がくっついて、ひとつの塊になっています。

それぞれの役割を取り戻す

それは言葉通り固着していると言うことだけではなく、部品と部品の境目が無くなっていると言うか、それぞれの部品の役割があいまいになった状態です。

雑草が伸びすぎてどこが道でどこからが花壇なのかわからなくなった公園や、混ぜすぎた卵かけご飯、伸びすぎた髪とヒゲが繋がったような(?)

ずっと同じ体勢で座っていたときに立ち上がって伸びをしたい感じ。そうすることで手は手としての役割を取り戻して、足は足であることを思い出す感覚ってありませんか?それに近い作業が最初の分解や掃除です。

ピアノも部品同士が一緒くたになっている状態では音もタッチもあいまい。ピアノがピアノらしくあるために「人の手が入っていること」は大事です。人の手が入ったピアノは秩序が保たれ、必然性を持ち、個性があります。

ピアノでひとつの音を出すために使われている部品は細かく分けると100以上。部品同士の接点もその数だけあります。

ネジは部品をしっかりと固定し、フェルトは衝撃を和らげ、関節の部品は抵抗なく回り、貼られた革は適度な抵抗のために。

それぞれの役割がきちんと全うされているかどうか。それがピアノのくたびれ感を左右します。

手を加えるということ

昔読んだ本で、クラシックカーのレストア(古い車の部品を交換してリフレッシュする)の大事な考え方として“部品と部品の歴史を断ち切る”と言うようなことが書かれていました。

例えば同じ汚れでもシートだけに付いた染みよりも、シートからドアの内側にまたがった染みの方がその車を使ってきたリアルな歴史を感じてより古く見えてしまう。シートを交換してその染みによる繋がりを断ち切ると、一気に“蘇った感”が出るという内容でした。

逆の事例で、DIYで家具のアンティーク加工をするときにはできるだけ古く見せたい。あえて外枠から引き出しにまで繋がる、部品を横断した傷をつけることでくたびれ感を演出するみたいな基本テクニックがあります。

傷や染みに限らず、ホコリが同じように積もっているだけでも部品同士は“くっついてしまっている”と言えます。長いあいだ同じ環境にあると、あらゆる部品がゆっくりと同一化していきます。

それを断ち切るのが分解であり、掃除であり、部品の交換です。

同じ鍋の中

かと言って部品それぞれが独立しすぎているのも良くなくて、それはまだ味の染み込んでいないおでんのような余所余所しさ。新品のピアノはその最たる例で、組み立てられたばかりのピアノは部品の集合体でしかありません。

今回の記事、やたらと例え話が多いですね。そのくらいこの感覚をダイレクトに説明するのが難しいです。

目指すのはそれぞれの具材の味や食感は活きているけど、出汁は均一に染み込んでいる。でも決して煮崩れてはいないような、そんな状態がピアノでも理想だと思います。

…伝わったでしょうか?僕の好きなおでんの具はちくわぶです。

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つくし@ピアノ調律師の書斎
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