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弱スパルタ

お盆に実家へ帰った時に母親のノートパソコンが埃被って置いてあったのを発見した。

僕:「これ動くの?」
母:「高かったからねぇ。使えるよ。持ってく?」

使えるものなら持っていきたい。
もう、ポチポチスマホで小説を書くのも疲れた。
この間の視力検査で、0.1さらに目がわるくなっていた。
このまま”スマホ作家もどき”をやっていると、年0.1ずつ⤵︎視力を失うことになる。
メガネをつくっても、いつもどこかへ置きわすれてきた。車でメガネを踏んづけたこともある。笑、
再度メガネを買うことになるが、もうどこかへ置き忘れることもないだろう。

張り切って自分の家に母PCを持ち帰った。
それにしても重い。
このパソコンのどこにこんな重力が乗っているんだ?
何かが住みついている?

持ち帰って気づく”あるある”10条トップテン。「パスワードをきくのをわすれた」

しばらく画面と睨めっこして
「よし!」と、まず母親の名前をうちこむ。
「さ・ち・こ」
どうだ!→ブッブー(NG)

うーむ。母のくせに、名前じゃない?
となると、誕生日?
いや、きっとこのパソコンを買う時に電気屋からきっと言われているはずだ。
「名前と誕生日はやめた方がいいですよ」と。

なら?なんだ?

うーむ。と考えて、まさかな?と、とりあえず”1(イチ)、2(二)、3(サン)”と打ってみた。

「パッカーン!」

あっけなくパスワードが開いた。。

カーチャン?!、、。笑”ユルッ”

アントニオ猪木かよ。
”元気ですか!!”いーち、にー、さーーん!!

パスワードはラクラクにひらいたけど、ここからが大変だった。

Wi-Fiを設定する。→ダメ。
Wi-Fiできるようになるよ。電気屋の人に聞きながらUSBタイプのWi-Fi対応品を購入して、挿してみる。→ダメ。
固定Wi-Fiと母PCをLANケーブルで繋いでみる。→ダメ。
何をしてもダメ。
やっても、やっても、よくわからない言い訳ばかりの説明文がPC画面上を重ねてくる。

3日間ぐらい格闘して母PCは電源さえ入れることがなくなった。
あきらめた。
重いし掃除の時に邪魔くさくなった。

10年以上前の、母が言った言葉を思い出す。
「病院でもね、とうとうパソコンを導入してしまって、どうしても打ち込まないといけなくなった。間違われないし、最初はね、若い看護師に千円で打ち込んでもらっていたの。でもね、段々とそうもいかなくなって、このPCを買って家で練習していたんだ。高かったわー。」

だからか。あまり使ってない。
古い割に画面の液晶は綺麗。
キーボードの弾き感も元気がいい。
ふと掃除機を止めて気になった。
「スピーカー?が付いている。」

この日のうちにDVDをレンタルして母PCで映画鑑賞をした。
これはいい。
ノートPCなのにスピーカーが大きい為よく音が聞こえる。
映画だけじゃない。音楽CDもいけるな。コレ。
とりあえず使用用途が限られてきた。
DVD、CDプレイヤー。
あとはワードを原稿用紙モードにして執筆打ち。そのままインターネットにとばせないから、USBに一旦保存して、スマホに繋いでUSB転送はできる。
これぐらいか。

後日
たまたま通った”ROCKITCOOLJAPAN”という店を訪ねた。
信号待ちで検索したら、「PC修理」と書いてある。どんなもんかな?と重い母PCを抱いて店内へ入った。
”プロ”だった。その道の。

”プロは世界のプロ”



問題は解決した。
どんなにあがいても母PCは、今時の使い方はできない結論にいたった。
時代の流れは早い。
17年も前のノートパソコンはそのままの箱を使っても中身のグレードアップさえできないそうだ。
無理やりやっても機械が最近の文字を把握できない。文字化ける。YouTubeも最近物は過去のデーターにはスピードが追いつかず、受け付けないそうだ。
悲しくなった。古い車は直せば走るが、パソコンはそうはいかない。
”プロ”が言うには5、6年でパソコンは買い替えるのが”良し”だそうだ。まるで携帯電話ペースだ。

そんな人いるのだろうか?

この店”ROCKITCOOLJAPAN”についてのコメント。
八戸市に数々あったパソコンメンテナンスショップも本気なところしか生き残らず、その生き残りがこの店である。
部屋の中を見てその”プロ”さは一目瞭然だ。
基板剥き出しで配線が繋がれたパソコンの数々。

人体で例えると手術台に寝かされたオペ中のパソコンが沢山ある。
中には「えっ!どいうこと?」みたいな、パソコンという原型がなくアクロバティックなカスタムパソコンもある。

「えっ!コレって何やってる最中なんですか?」と思ったままに聞くが、頭が追いつかない。
ただ、理解できたのは、

店主:「こんなことをして、世界大会で入賞したりしてます」

と、!?「ええ?そう‥え!っ!すげえ?」

あまりにサラッと言うもんだから凄さが理解できないけど、”世界大会”という言葉はなかなか口から出ない言葉なのは確かだ。
スポーツでもそれが、どんなスポーツでも。

店主:「私たちYouTubeもやってまして。そこそこ人気もあるんですよ。」

この店の客層の大半は三沢市からの外国人だと言う。車で1時間の距離をこの店を選択して駆けてくる。それも世界大会での実績が証明している。

三沢市には航空自衛隊三沢基地がある。
その影響でここ八戸市にも外国人がやってくる。

三沢基地の外国人の視点は常に流行りを先取っている。
ある意味日本の外側から日本の品質やセンス、技術の良さを再発見できる貴重な”チャンス”となる。
夏に行われる三沢市でのアメリカンデイやハロウィンでの日本アニメのコスチューム。
映画ワイルドスピードに登場しそうなカスタムカー。
そしてPCを作る技術=カスタムする技術。プログラミングもそうか。

コスプレは世界共通、日本のアニメは世界のアニメ
スーパーマリオ、鬼滅の刃、ナルト、そしてワンピース!
日本は車文化。綺麗に大事にのる。”魂入れ”なんて安全祈願は日本だけ
車に名前をつけるのは日本人だけだそう。

基地の中には何でもある。映画館、ゴルフ場、室内サッカー場。スーパーや、外食店もある。
しかし、昼休みや、週末に基地から出て市内の外食店でご飯を食べる外国人の自衛隊員を度々みる。
それは日本食が美味しい。
という証拠だ。
スーパーは断然に魚や野菜は基地外のスーパーが新鮮なのだそう。
僕も基地内のスーパーマーケットに入ったことがあったが、確かに肉はすごいボリューム。
コーンフレークやシリアル類が大きいサイズで沢山あった。何より驚いたのが飲料も洗剤などの生活品も全て日本の3倍以上のジャンボサイズだったことだ。そして、生物(なまもの)が全くなかった。

母PCが使えないことが分かり落ち込んで帰ろう、と片付けていると、
店主:「これで良かったら売るよ」
と、一台のノートPCを出してきた。

店主:「これはね、お客さんが、この間PC上にうどんをこぼしてしまった。
との修理依頼で持ってきたものなんだ。
結局、修理費がかさむからと言ってこの店に置いていった。それを僕が修理して動くように持っていたわけだ。」

僕:「へー。これなら今日持ち帰ってすぐに使えますね。アプリも大体入っている。いいね。
おいくらですか?」

2万円で購入した。
明日嫁に渡そうと思っていた、生活費をちょうどおろしていた。
手元にお金がある、という時はなぜか理性を失いやすく、払いが良くなる。
この時もそうだった。
嫁の存在を認識する前に物欲が勝ってしまう。
即決だった。
良い店だった。「君は何をしたくてそのPCを購入したかは分からない。でも何か技術的なことを知りたかったらいつでもおいで。教えてあげる。」と言ってくれた。

パソコンど素人の僕を遅い時間に相手をしてくれた。プロ人なのに。

いつの時代も”サービス”とはこういう姿勢にあるのかも知れない。

最後に店主は言っていた。
「まぁ。うちは一見さんお断りなんだけどね」と。
今日は素敵な日だ。。

重いPCと軽いPC。2つを持って車に乗り込む。

左がPCサチコ。右が”世界のPC”

帰り道に図書館通りをとおった。
「待ちきれない」
ハンドルを切って図書館方面へ向かう。
図書館を利用して、パソコンを早速いじってみたかった。

久しぶりの図書館。
人は沢山いるのに、シンと静かな空間。
パソコンを叩いている人はどこにも見かけない。

一階にはいなかった。
二階にいってみる。勉強をしている学生達がいた。
「一日中、学校の授業を受けたのに、まだ勉強している。すごい集中力だ」
と感心する。
今後の日本や世界はこんな若者達が支えていくのだろう。心強い。

奥の更に奥の部屋に行ったらようやく”PC使用可”の場所があった。
既に先客がいた。
何席もない。
先ほど”世界の人”唐買ったPCをあける。

まわりは静か過ぎてキーボードを強く押せない。
そっとこちらも静かにソフトタッチ。
おおー。これが世界のPCかぁ。。とはならない。
いたって普通のPCだ。
バッテリーが弱い。10分したら、バッテリー切れでPCが使えなくなった。
家に帰ったらとりあえずアプリ”note”を開いてみよう。
スマホ、ノートPC、両方で併用して使えるかどうか。
ノートPCがあればとても作業効率があがる。
”世界の人”はこのPCでデザインものも出来るよ。と言っていた。
そんなのどこに入っていたっけな?

PCが使えなくなったので、久しぶりの”八戸市立図書館”を散策してみる。

カウンターに、面白いパネルがあった。
図書館の歴史だ。(許可を得て撮影)

”ブックモービル”は”ブックモバイル”と言い換える。 今時の言葉だ。もはや”ブックバス”は死語かも。”
今だけのパネル
”本は高価であった為、皆でお金を出し合って購入した”

昔は本は高価でお金持ちの人しか買えなかった。
みんなでお金を出し合い本を買い、それを貸し借りすることで図書館は始まった。とある。

図書館の原点となる、移動図書館も初号車は積載数650冊から、2号車になると、2500冊を積めるようになる。

昔の人と言っても移動図書館ができたのはうちの親父で例えると30代の歳。
その頃は本は貴重な都会にしか無いものだった。
つい最近の事でもある。

これを読むと”本”というのはまだ、一般的に歴史は浅く、今1番読み応えがありそうで良かった。という時期に、電子化の波に襲われた感がある。
もし、電子書籍がいまだに無く、紙で作られた本が娯楽として継続し読まれていたなら、もっと偉大な、面白い物書きが現れて時代を作ったのかも知れない未来があった。
文章や言葉は多言化し、ある意味自由になった。
そんな中で多種多様な作者が現れてもおかしくなかった。

それしにしても、”図書館”とは。
何と偉大なり。

雑誌、新聞も豊富。
短歌、芸術本、
ジャパンタイムズまで置いている。
知識の宝庫だ。何時間でも居られる。

そして驚いたのが、新聞の過去の記事。かなり過去まで遡った新聞記事を読める。

カウンターで聞いた。
何年まで遡った記事を読めるんですか?と。

「50年前ぐらいまで遡れます」

ピーんときた。
なら‥

僕が唯一新聞に載った記事もあるかも知れない!

興奮した。
これって‥
まるでタイムマシーンじゃないか!

35年前。僕は小学6年生だ。
前に書いたエッセイにもあったように、僕は嫌々児童会長をしていた。
今でも忘れない。
”小学校の30周年?記念式典”
その長ーいスピーチの思い出があった。

部活動へ行く前最低1時間と、早朝1時間。
毎日それを1ヶ月続けた。
地獄は知らないが、まさに地獄だった。

最初はかなり怒られた。
挨拶文から書かされたけど、破かれた。「こんなの人前で読ませられない。」と。
今でも覚えている。
「全くなってない。それでも児童会長か!」と。
怒り叫ぶ口から唾がかかった。
僕は顔を見ずに、よく動く口だけを見るようにし
た。

国語担当の先生のスパルタ練習。
息を吸うタイミング、
言葉を強調する部分、
皆を惹きつける間(ま)の取り方、
10分、いや15分ぐらいのスピーチだった気がする。
よく暗記したと思う
本番は噛まなく完璧に言えた。
それだけ練習したんだ。
本番は緊張もせず
頭は空っぽで、なぜかカラダからスルスル言葉が出ていった。玉が斜面を転がっていくように。
柳の木が風で揺れるように。
練習した分、その境地にいけたんだ。おそらく。

式典が終わって数日目に僕は校長先生に呼ばれた。
校長先生から一枚の新聞の切り抜きを渡された。

校長:「君は新聞を読むかね?」
僕:「いえ、読みません」
校長:「お父さんやお母さんは読むかね?」
僕:「はい、父が読んでいます」
校長:「お父さんは何か言ってたかね?」
僕:「?‥いえ、何も。父は朝が早いので。(トラックで魚を売り歩く移動スーパーをしている為、朝2時にはいなくなる)」
校長:「じゃあ。これをお父さんかお母さんに渡して見せなさい。」

僕は驚いた。
その切り抜きは僕だった。
どんなに頑張って絵を描いたり、書道したり、版画したり、野球を頑張っても、賞状ひとつなかった僕が、新聞に載っていた。嬉しかったし、自分を誇れた。
そして何より、努力すればしっかりと結果として残る。ということを知った。
嫌々やったことであってもだ。不思議だった。
あんなにスパルタで練習した稽古もゴールはこんなに明るい。
今の、人生にも”あの時”が背中を押してくれる時がある。
人間とは不思議だ。
叩かれたのに強くなる。

図書館の司書補:「年間分の新聞をお貸しする事もできますが、相当な量ですので、できればもう少し具体的な時期がわかれば良いのですが‥」

僕:「分かりました。もう少し時期を調べてからまた来ます。」

と返事をした。
と言ってもな、時期なんてさっぱり分からない。

家に帰って少し考えてみて、それでも分からない時は一年分調べてやるか。と覚悟をきめた。

楽しみだった。
果たして過去の自分に出会えるのだろうか?
校長先生からもらったあの記事は、実家の建て壊しの時にどこかへいってしまった。
姉と弟は沢山の賞状を掲げていた中で、僕はその間にひとつだけ、小さい記事を挟んだ賞状の額に入れてあった。
壁に掲げると意識してしまうんだよな。
兄弟3人の中で俺が1番落ちこぼれってことかよ。って思う。
親父は案外はっきり言う。
お前はたった一枚かよ。って。

図書館の終わりのチャイムがなった。
蛍の光だ。
日本という国は面白い。 
この帰りの音楽の背景に”優しさ”を感じる。
そっと柔らかく”お帰りになってまた明日”。と言っている気がしてくる。
おそらく他の国には無い風習だろう。

家に帰り早速”世界のPC”で創作活動開始。
目指すは3月の”小説すばる新人賞”だ。
アイディアは沢山ある。
最低2本ぐらい書いて、人に読んでもらって人気がある方にしよう。
”世界のPC”のおかげでワクワクが止まらない。

思いがけずにゲットできた”世界のPC”。
僕もこれで世界を目指す?

今は誰も隣にいない。
アドバイスも、スパルタ稽古も。
身を正し
自らをスパルタに追い込む。
”スパルタ”?
この言葉はもう古いか?
軍事訓練で使われた言葉

ならあまりおいこまずに。
”弱スパルタで”

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