私小説の意義。「むき出し」。
お笑い芸人コンビEXITの、兼近大樹さんが
約1カ月前に「むき出し」という小説を上梓されました。
選書のきっかけ
EXITの、チャラザイマン(漫才)が家族で好きです。
思えば若い時から、ヤンキー漫画&ドラマは好きで、笑う犬で内村光良さんとホリケンさんがやっていた梅屋敷の若者というコントも大好きでした。
EXITのチャラさが刺さるのは、本当にチャラかった人じゃなくてそれ以外の人。ヤンキー物に気持ちもっていかれるのはヤンキー歴が無い人、自販機の前で座り込みダベる茶髪カップルコントで笑うのはそういう事をした事が無い人なのではないか。と思うほど、割とそういう系統のエンターテイメントに惹かれてしまう。
知らない世界を知るのはエンターテイメントが担う役割のひとつでもあると思います。
そして別記事で書いたとおり、読書もエンターテイメントだと思っています。
好きな芸人さんが夢であったと言う小説本。なので読んでみようと思った次第です。が、想像以上に伝えるものが強かったので、自分の為に感想を残したいと思いました。
私個人はネタバレを読んでから本を読む事になんの抵抗もないのですが・・
ネタバレそのものが嫌だったり
ネタバレを読んで本を読まずに、第三者に話したくなってしまう方は
この先読まない方がいいかもしれません。ご注意ください。
本書の力強さ
この小説は、同級生よりも背負うものが多い少年が、こんなに辛いのは自分だけだと思っていたのに自分と同じ気持ちをもった人間が他にもいることを知り、同じ状況での他人の価値観の存在というものに気付く、少年期から青年期にかけて視野が広がっていく成長の物語です。
今まで著者が各媒体で語ってきたエピソードも多いため、自叙伝という見方をした時こう言っていいのか憚られますが・・小説としてかなり面白い、私にとってお気に入り本となりました。(恵まれた生まれ育ち以外の)成長物語がもともと好みな事もあります。
時系列も場面転換もスムーズで良く練られてもおり、時々微笑ましく笑みが出る一文もあったり、胸がぎゅーっと締め付けられて泣きそうになる言葉や場面がいくつもあり。そんな読書時間でした。
これを経て・・と想像する、今の兼近大樹という「現実」がある。この本の大きな価値はそこだと思います。
「売る事は無理でも人は誰でも1冊は小説を書ける」という意地悪な言葉が昔からありますが、まずアウトプット力がなければ不可能な事です。
それをふまえて本書は、主人公が小学校に上がる前から20代半ばまでどう思っているのかという心の言葉・叫び・混乱が、率直な言葉で具体的に細かく記されており、技巧に頼らないキラキラした光を放っていました。
子供の時にどういう感情を持っていたのか・・思い出すのも表現するのも、たいていの大人は難しいのではないでしょうか。
そして著者と同じ境遇で育ち、上記が出来て、そして売る=人に伝えられる立場に立てている人は、なかなか存在しない。本を出版した事は芸人だからという恵まれた事、ではなくて、ご本人が自力で手に入れたものだという事に、最後まで読むと改めて気づかされます。
私も何一つも恵まれた生育無く生きてきた人間ですが、私の夢はかないませんでした。
小説でなければもったいない
著者は以前「実話ですか?」の問いに『どう思ってくれても。もちろん経験も反映されてますが小説。・・意地悪な人が本の内容で何か言ってきても『小説ですやん?』って言えるでしょ?(笑)』という風なニュアンスで、話されていました。
が、私はそれよりも、私小説であることの意味は大変大きいと感じました。
例えばエッセイや自叙伝というと書籍として一過性質が強いような気がします。兼近さんが文芸春秋社に過去の事を取材された渦中、もしタレント本のような形で出していたら、主題としてあまりにも勿体なかったと思うのです。
自分以外の人の気持ちも考えられるようになりましょう。
自分の周りの小さな世界から、この世の中の何もかもの火種。根底にあるコレを、物心ついて自然にできるようになる人も居れば大人になっても出来ない人もいる。
主人公は小学校時代、自然にはそれが出来なくて解らなくて苦しむ。
みんなとおなじ行動ができない。なぜしなきゃいけないのかもなぜ自分ができないのかもなぜ怒られるのかも、わからない。貧乏だから友達の持っている物を持てず嘘をついたり、楽しいのにしてはいけない遊びをしたりして、いつも友達が離れていく。
そんな主人公は世間的に正しいと言われている理由を見つけて「暴力=強さ」を行使して、周りに認められようとします。
だが、主人公は成長の過程で、暴力の理由が本当に正義感からだけだったのか?と揺らぐ。
家族を心配しているのに自分自身の力では救う事ができない無力感。
貧乏だから同級生と同じスタートラインに立てない辛さ。
寂しさやそんな自分のイライラを、どうしていいかわからなかっただけではないのか・・。自分の都合のいいように考えてはいなかったか。
兼近さんの露出媒体を見ていると、離婚した御両親や兄姉妹にとても優しく、そして近い周りの人はみな兼近さんをとてつもなく優しい人だと発言されますね。
生まれを妬んだり恨んだまま生きない。その気づきの過程が本書には書かれています。
そして親の愛を感じて育つ事が、人間のなによりも強みであること。それを主人公を通して著者が実在すると考える事で、訴えかけてくる本だと思いました。
自分に何ができるかを諦めない
兼近さんは番組などで毒親の話題に触れた時『0歳の親は、親年齢も0歳。ニュースになる親を「変だから」と切り捨てるのではなくて、どうして生み出されてしまったのか、そういう社会全体を考えないと。』というような事を、度々、コメントされています。
実は本書で私が一番感銘を受けたのは、主人公が東京に出て芸人を目指し始めた終盤の部分です。
以前、相方のりんたろー。さんと会話する動画の話の流れで兼近さんが「芸人なんてみんな変わってるけどな。まともだったらサラリーやってるべ。」と言うのですが、それがなぜか妙に頭に残ってはいたのです。
お笑い学校に入り芸人の世界に踏み出した本書の主人公は、笑いを起こすのは共通や共感を少しズラすことなのに「共通や共感する普通というものを知らない」自分に、苦労することになります。知らない事の恐ろしさを痛感する。何故今まで相手を知ろうとしなかったのかと後悔する。
それでも知ろうとする事を諦めない。
全て兼近さんの体験かは分かりませんが、主人公はひどく緊張しながらも「普通の人」と会話する機や会は何でも逃さず参加し、失敗し、両親の手紙に涙し仕送りをギャンブルに使いながら、先輩を観察し、バイトや仕事は何でも全力でやり、芸人仲間が選ばない仕事も受ける(結果エロ番組でバズり出世作となってしまう)。
真面目、というのは少しニュアンスが違う気がする。ひとことで言うと努力、ふたことで言うと本気で真剣になる、という事になるのかもしれませんが、根底には芸人になる・元の世界には戻らないという強い意志が在るのだ・・とエピソードを追い読みながら思い知らされました。
だから私は努力が下手で、夢をつかめなかったのだ、と。
「むき出し」というタイトルが秀逸です。
自分をさらけ出して相手の事も知る。
この世の中でまず大切なのは何なのか、を見つけられる本だと思います。
笑いのオチのように「この世の中の分断を無くす!」
と言っていた芸人さんですが、それは本気なのではないかと思いました。