【人生は、自己中と自己犠牲のバランスを統合する旅】
昨日書ききれなかったアナ雪2の話を再び笑
アナ雪の1と2を見てると、まさにタイトルの話を表現してるって気付いてしまった
1はエルサが魔法の力を幼少期から隠して隠して成人する戴冠式のタイミングでそれが露呈し、人とは違う力に皆から恐れられるのを実際に体感してしまって
(ここまでが自己犠牲に全振りの人生)
もういよいよ諦めて自分の力全出しで、城も国もほっぽり出してお山の奥の頂上に1人城なんか築いちゃって「私一生ここで1人で暮らすわ」っつって、能力全開放で好き勝手やり散らかす時期に突入
(ここで今までの超絶反動により、人生で初めて自己中心的に全振りの振る舞い)
で、ここまで自己犠牲と自己中心的に、どちらもメトロノーム両極振り切るくらい極端に傾いたわけなんだけど、
アナ雪2でアートハランへ向かう旅を通して、自分の原点を知り、自己中心に全振り(=自分の能力や才能を全開放)しても、他者を傷付けない、むしろ魔法の森でその力が感謝される、自己犠牲だが裏を返せばものすごく他者貢献的な、その両極の絶妙なバランスの位置を見つけることが出来るってストーリーなの
まさに自己と他者の統合でもあり、自己犠牲と自己中の究極のチューニングをしていく旅
これ人生も一緒なの
赤ちゃん〜幼少期の時は自己中心的に全振り
親の顔みて泣くとか寝るとかしないっしょ
で、学生時代〜社会人あたりが自己犠牲に傾きがち
人によって極端に全振りしちゃう人もいる
自己犠牲に振れる傾きが自分のキャパを大きく越えすぎると、悲しいかな上司のパワハラやイジメとかで自殺しちゃったり、引きこもっちゃったり、自傷他害の振る舞いにまで発展してしまったりする
大事なのは、1度両極まで傾きを経験したら、どちらも満たす真ん中の重心を探して行くこと
自己犠牲と自己中心的のシーソーの上手い平行のポジションを探していくということね
むしろそこのベストポジションを探して微調整を何度も繰り返していくのが人生の難しさであり、醍醐味でもある
特に日本人はどうしても自己犠牲に傾きがちだから、大人になった今、いい子ちゃんもやめて人に迷惑かけるかもという恐れを1度捨てて、1回自己中心的に思いっきり触れてみたらいいよ
1度自己犠牲に振れて経験してる人の自己中ってそんなに酷い事にならないから大丈夫
しかもこの自己中の状態って本来の自分の魂や性質だったりするから、そこをおざなりにしたまま生きることはできないのよねぇ
どうしてもそこにフタしたままだと自分にガタがくる
本来のあなたの魅力だったり、才能がそこに置き去りにされてたりするのにね
もったいないよね
でもそこのフタを開けるやり方も、もう忘れてたりするんだよね、自己犠牲に傾いてる時間が長ければ長い人ほど
フタがあった事さえ忘れちゃってる人もいる
それをまた再発見、再自覚することは、つまりあなたの原点的なものを回帰する行為に等しい
だから、そこを自分1人でやらず、人の手を借りるのが早くて
それを私がやってる「魂の縛り・才能開花 解き姫セッション」で体感出来るようにしてるの
自分の本来の姿、才能を開花できると、自己中でいながら、他者にその才能で貢献出来て他社貢献もできて
シーソーの平行の状態に早く到達できる
その状態でいると、ホント生きて他者と関わってるだけで感謝されるし、自分も至福の喜びを常に感じられる
最高の世界線だよ
皆にも早くこの感覚味わって貰いたいなぁ〜