どうやったら、人を許せるか
「私を誹謗中傷する方々は、私のことをよく理解していないから、そのような言葉が出てくるのですよ。」
「私のことをよく知ったら、もっと酷い言葉が出てきますよ。」
私の牧師先生が説教でおっしゃった、印象に残っている言葉です。
私は、私が通っている教会ほどに、誹謗中傷を受けている教会を他に知りません。
高校生のときの私は、そんな所にも魅力を感じていました。
ところで聖書に登場している人物の中で、この世に生を受けた人の中でも、群を抜いて誹謗中傷を受けた方は誰でしょうか。
イエス様です。
伊藤誠ではありません。
この世で一番清く生き、その生涯に一切の汚点もなく生きた人は誰でしょうか。
イエス様です。
神の子羊なるイエス・キリストが歩まれた生涯は、今まで生まれてきた人の中でも、これから生まれてくる人を入れても、最も清く、義を貫いたものでした。
彼が真理に堅く立つために、彼を失脚させる口実を得ようと熱心にあら探しをする無謀な人達が、今日も昔もいます。
約2000年前のパリサイ人は、イエス様を死刑にしたかったものの、裁判官に訴える口実を何一つ見つけらなかったために、偽証の訴えを立てる他ありませんでした。
聖書の記者の中にも罪の記録がないクリスチャン、ダニエルがいます。
彼は大帝国の総理大臣を務めており、自分の義務に忠実に行動したために、同僚から目の敵にされて、訴える口実をあら探しされました。
しかしながら、ダニエルを失脚させる口実を探せば探すほどに、彼の潔白生が際立って見えるだけでした。
同僚達は、ダニエルの悪事を掘り出すことができないために、彼の宗教と相対する法律を制定し、彼を殺そうとしました。
自分がどれほどの不利益を被ろうと、聖書の御言葉を実行するダニエルは、破れば死刑になる法律を犯してでも、ただ神様だけに栄光を帰しました。
今日の日本で、このように悪事を掘り出そうとする団体がいるとしたら、某週刊誌が当てはまるのではないでしょうか。
著名人の不祥事や悪行を、根掘り葉掘り調べ上げては記事にする、有名な週刊誌のことです。
私がこのような団体に、悪行を執拗に調べ上げられたとしたら、イエス様やダニエルのように潔白生だけが輝けるようになれるのでしょうか。
私の通っている教会や教会員の方々はどうでしょう。
「この人達には何も訴える口実がない」
「あまりに清い方々なため、調べれば調べるほど清さを知るだけだ」となりたいですね。
私は自分の咎を知っています。
そして自身が恐ろしいほど罪深く、愛から遠のいた人ということを理解しています。本当にそう認識しています。
ですので、誹謗中傷をされたとて言い返すことも、人の咎を叱責することもできないのです。
自分のことを、「罪深い」と認識している人間は、人の過ちも心地良く許すことができます。
その人の過ち以上の過ちを犯していながら、人を叱責する気にはなれませんからね。
自身のことを優しくて、善良な人間だと評価している人は、人の過ちを許せません。
自分を非の打ち所がないと評価していたら、人の小さな非でも目についてしまうからです。
誹謗中傷をしている人が言っている言葉は、中傷をされている人よりも、中傷をしている人に当てはまっているということはよくあると思います。
新約聖書のマタイによる福音書、7章3節から5説です。ここで言う梁とは丸太のようなものです。
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
新約聖書のマタイによる福音書6章14節から15節です。
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
ちなみに私が最後に許せなかった人は、自分自身だったと思います。
こんな私の罪が赦されても良いのだろうかと自責の念がありましたが、この説教を見て心が穏やかになりました。
「この人を赦す」というのは、自分以外の人全員が該当するのではなく、自分自身も含めて、全ての人を赦しなさいという意味でした。
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