すでに甲状腺がんの祖父に乳がんの事を伝える
セルフチェックでしこりを発見し、病院に行くと、乳がんだと告知された。親には電話で伝えたが、電話を切った後、感極まって、思わず泣いてしまった。
病院の玄関を出た所で、人目もはばからず泣いてしまった私は、急いで涙を拭った。次は、甲状腺がんを患っている父方の祖父に、電話する事にしたからだ。
甲状腺とは、喉仏の下にあるホルモンを分泌したり、新陳代謝を調節したりする器官で、甲状腺がんとは、その器官に腫瘍ができてしまう事だ。
祖父は5年以上前に甲状腺がんを患い、それから何冊もガンの本を読み、食生活を見直し、一日1万歩以上歩き、10キロもの道のりを自転車で往復する毎日を送り、5年生存率を打破した人だ。
そんな祖父を私は尊敬しており、自分が乳がんになった事を伝えたら、きっと一番の心の支えになってくれる存在だと感じていた。
そして、アドレス帳から祖父の電話番号を出す。意を決して祖父に電話した。
「もしもし?」
「じいちゃん元気?トモカだよ!」
「おおー!元気元気!トモカは元気ー??」
出だしは好調だった。
さっき泣いた事は隠し通せている。
「うん…まぁ元気っちゃ元気なんだけど…私乳がんになっちゃったみたい。」
父に伝えた時と同様、なんの前触れもなく唐突に言った。
乳がんを告白する時には、何の前触れを言えというのだろうか。皆目検討もつかなかった。
「えー!?うそー!?」
とても驚いた様子だった。無理もない。
自分が甲状腺がんになってからは、家族全員に"健康第一"だと言い、会った時は毎回高濃度低塩分の野菜ジュースをくれ、一日一回は運動したほうが良いよと、健康の普及活動をしてくれていたのだ。
その事を知っているからこそ申し訳ない気持ちになり、父の時と同様早口で答えた。
「でも大丈夫!
お医者さんステージⅠか0(ゼロ)の超初期段階って言ってたし、手術とかこれからの事は全部自分でするから!
絶対迷惑かけないようにするから!」
大体報告というのは同じ事を言うことの繰り返しだ。
「………」
祖父は黙っていた。
やはり、祖父もガン家系だからか、血の繋がりがある私も、いずれガンになるだろうとは思っていたと思う。だが、こんなに早くガンになるとは思っていなかったのだろう。
家族の中で一番覚悟が出来ていたのは私だと思う。
ガンの告知を受けた時は正直ショックだったが、同時に、「前に進まなきゃ!泣いてる暇なんかない!泣いてる時間がもったいない!」と思った。乳がんになった事を嘆くより、乳がんになってしまったけど、これからより良い選択をしていく為には何をすれば良いかを考えた方が有意義だと思った。
だから、父へ電話をした後は、少し泣いてしまったが、すぐ涙を拭き、祖父に電話した。くよくよしている暇は無いからだ。
やっと祖父は重い口を開き、
「じいちゃんに何でも言いな。」と言ってくれた。
また目頭が熱くなる。
「ありがとう。また、色々わかったら連絡させてもらうね。」と言い、電話を切った。
不安で誰かに弱音を吐きたい時や、治療の選択で迷った時は、祖父に相談させてもらおう。
祖父の「じいちゃんに何でも言いな。」という一言は、強がりな私に唯一の弱音を吐ける場所を作ってくれたのだ。
これが、どれだけ私の心の支えになっただろう。本当に感謝してもしきれない。
より一層気を引き締めて、今日泊りに行く予定の母方の祖父母の家へ向かった。
次は「楽しく泊まる予定だった母方の祖父母への乳がんの告知」編です。
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