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凸凹道をつくる

最近学校にいるとよく思うんです。

私は教員としてできる限り生徒同士が円満に過ごしてくれることを目指しすぎていないかな。
と。

というのも、話し合いでぶつかり合う生徒は
その衝突をストレスだと感じることが多くなっている気がする。

先生が生徒と関わる中でできる限り衝突を起こさないようにすることで、
生徒同士の衝突がより大きなインパクトをそれぞれに与える。
それによって、衝突の衝撃波を受けた子たちが徐々に心に傷を負ってしまったり、考えすぎてしまったりする。

でも本当にそれさえも回避するべきなのだろうか。
回避することはユートピアを作ってしまわないだろうか。


私は最近「転ばせ上手」になりたいと思っている。

凸凹な道を準備しておくでもいい
靄のかかっている道でもいい
分かれ道の多い道でもいい
なんなら全部草むらで、道さえも準備しないのもありかもしれない

転んでも周りが助けてあげる環境であること、
そして
転んでも自分で立ち上がれる力が自立するということではないだろうか

自助公助の力こそ、学校で身につけていくべきであり、
先生が意識的に引くべきレールなのではないかと感じている。

果たして先生が介入してレールを敷いていく必要があるのかという疑問もあるが、
せめても先生としてその学級、学校、プロジェクトや授業に関わっているからには勉強して追求した先に見える「大切なもの」を得るために目指す目標までのルートはこちらが示してあげることも大事だとは思う。
無理な押し付けにならない限りは。

どんな凸凹な道を彼らが乗り越えていけるかの調整まではしなくてもいいと思う。
思っている以上に一人一人の力はすごいものだから。
こちらの思っている以上に生徒はパワーを持っていて、私たちには全然見えていないことが山ほどあるから。

衝突や凸凹を怖がりすぎず
でもゴールからあまりにも遠ざかっているところを見かけたら、ちょいちょいと誘導できるような
そんな先生を目指していきたい。

そして誰かがこぼれ落ちるようなことがないようにしたいという私のポリシーを大切に
この世界を昨日よりも今日、今日よりも明日と導いていきたい


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