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子どもの支援者として映画『護られなかった者たちへ』を見た感想

こんにちは☺
いつもこどものせかいブログをお読みいただき、ありがとうございます!

今回は映画を見た感想シリーズで、以前から気になっていて、見ることが出来なかった『護られなかった者たちへ』を取り上げようと思います。


Amazonプライムで見ることが出来るのですが、なぜ以前から気になっていたのに、見ることが出来なかったのかというと、

辛い内容だろうと想像出来たから、、

です。


タイトルと少しあらすじを読んだ感じで、おそらく、

『福祉』の話なんだろうと、、

その中で、苦しんでいる人が居るのに、福祉によって救われないというような話なんだろうと、、


私の事前の推測はそのようなものだったのですが、

では実際の物語を確認してみましょう。

物語

この映画のベースになる時代背景は、
東日本大震災です。

当時の悲惨な状況や、役所の混乱ぶりが再現されています。

そして、震災から何年かたったある日、2件の殺人事件が起きます。

事件の状況や殺され方、そして被害者の役職が特殊でした。

殺されたのは震災当時、役所の福祉窓口担当の方でした。

この時点で、この映画のメッセージが伝わってきて、私の普段感じていたことと、少しずつリンクをしてくるのですが、

犯人は、福祉の窓口担当者に恨みを持つ者なのだろうと、、

当然、推測出来ることといえばそうなのですが、、

そして、警察は『窓口担当者に恨みを持つ者』を探すということになります。

そのような感じで物語は進みます。

映画のメッセージ

タイトルにもありますように、

色んな理由で苦しんでいる人が居る、そして福祉の制度もある。

映画の場合は生活保護でしたが、それだけでは護ることが出来ない人が居る。

それはなぜなのか?!

※ここで、『守る』ではなく『護る』という漢字が使われていることが、重要な意味を持ちます。

その理由を映画は丁寧に描いています。

福祉の課題

福祉とは何かというと、様々な人が様々な解釈をしていますので、辞書では、

公的な配慮・サービスによって社会の成員が等しく受けることのできる充足や安心。幸福な生活環境を公的扶助よって作り出そうとすること。「公共―」「―事業」

とあります。

この国では、憲法で定められている、健康で文化的な最適限度の生活を保障するという、基本的人権の事と言ってもいいのかもしれません。

これを求める権利が、全ての人にあります。


制度や法律はあります。なのに、なぜ必要な人に必要な福祉が届かないというようなことが起きるのでしょうか?!

私が考える一番の原因は、空気です。

同調圧力と言ってもいいのかもしれません。

まず国は、子どもが生まれると、自立を要求します。

その子どもが、どのような子どもで、何が好きで、何に幸せを感じるのか、健康はどうかというようなこととは関係なく、一律に自立を求めます。

それがこの国の世の中のニーズでもあります。

生まれたからには、一人で生きて行けよ!という、無言の圧力です。

それが人を頼ることなく、生きていくことが正しいことという、価値観を生みます。

この価値観の共有が、たとえ困っていたとしても、人や国を頼ることを難しくします。


普通、人が社会で生きていくには、人を頼る必要があります。

人は本来、社会性の生き物ですので、人の中でしか、生きていくことは出来ません。


最後には、誰もが1人で亡くなるといっても、生きている途中は人(他人)が必要なのです。

なのに、この国の社会はそれを許しません。

たとえ壁にぶち当たっても、1人で何とかすることが要求されます。

甘えるな!と。

もし、誰か(何か)を頼ろうとすると、

なぜあいつだけ!
あいつだけずるい!
自分はこんなに我慢して、頑張っているのに。

という、嫉妬や妬みの目で見られます。


本来、誰が何を頼ろうが、その人にはその人の考えや事情があるので、気にしなかったらいいのにって、私は思うのですが。。


しかし、自立の価値観は昔から今も、とても強力です。


映画では、高齢者の方が生活保護を頼ることが出来ませんでした。

今とちょっと事情が違うのは、

高齢者の方は、国はお上というくらい、無条件に尊敬する見方があり、偉い方々、政治的なことはお任せすればいい様にしてくれる、頼るものではないというような価値観を持っているという部分です。

そのような考え方は、今の若い方には無いのかもしれませんね。

しかし、自立の空気だけは、今も根強くあります。

今でも、自立は保育や教育、子育てにおいても、中心的な価値観で、とても重要視されています。

昔(昭和の時代辺りまででしょうか)には救いがあったのは、
お上を頼らなかったとしても、まだ地域共同体があったという点です。

何かあった時には、親戚やご近所、友人や知人を頼るという雰囲気が、とてもありました。

私の子どもの頃も、近所の年上、年下の子どもたちとよく遊びましたし、親同士も、顔見知りがとても多かったです。

なので、お上を頼らなくても、何とかなった部分があったと思います。

しかし、今はごっそり共同体が無くなってしまいました。

残ったのは、孤独で孤立した高齢者ということになっています。

今の若者も、その予備軍ということになります。


自立の代わりに必要なこと

私はこれまでも、ブログなどで書いているのですが、よく、自助、共助、公助と言われますが、共助と公助の考え方をもっと教育に取り入れた方が良いのではないかと思っています。

保育では、例えば5歳になりますと、発達的には友達と『協力する』ことが可能になってきます。


一つの目的に向かって、苦手な部分は助け合い、様々に能力の違う子どもが力を合わせて協力するという保育を、もっと重要視しなければいけないと思っています。

そして、どうしようもない部分は大人を頼るということも含めてです。



もちろん、学校に上がってからもです。

今の保育は、5歳になると特に、自立に力を入れているのではないでしょうか。

学校に行って困ってはいけない、学校を頼らなくてもいいようにしなければいけない、社会に出たら1人で生きていかなくてはいけないと。

学校教育も自立に向かって、その延長線上で行われています。

そうなりますと、誰か(何か)を頼るということは難しくなります。

頼ってはいけない、頼ることはダメなことという、空気を作ってしまいます。

このことは、子どもの自殺の多さと関係しているのではないでしょうか。


〈自立を目指すと人は幸せになれるのか?!〉


制度の問題点

今の福祉や生活保護の制度にも課題があります。

例えば生活保護についてですが、映画では、第三者ではなく、本人自身が申請しなければいけないという、福祉の窓口対応のシーンが出てきます。

でも、それでは先ほども書きましたが、空気や本人の気持ちが壁になります。

このままでは餓○するのに、申請しないということが起きてしまいます。

ですので、申請するためのサポートが必要です。

そして、自分自身の子どもを頼れない事情も描かれていましたが、とても重要なことで、

今の時代、親子と言えども、とても複雑な関係性になっていることが、珍しくありません。

映画のケースは、実の母親の状況が子どもに伝わることはありませんでしたが、(そのシーンの阿部寛さんの演技が最高でした)例えば、毒親という言葉がありますが、とても酷い育てられ方をした子どもが、将来親に会ったり、親の扶養義務を果たしたいと思うでしょうか?!

そのようなケースは、いくらでもあり得ます。

ですので、私は扶養義務という制度自体を改正した方がいいと思っています。

普通に、親子の関係性が良いと、親が困ったら、余裕があれば子どもが生活の面倒を見るのは自然なことだと思います。ですが、それを全員に制度によって当てはめる必要は無いと考えます。

良好な親子関係を頼るという前提が、実態と合わないからです。

過去にある有名な芸人さんの親が、生活保護を受けていて、問題になったことがありましたが、そのようなことは他人が口を出すことではないと考えます。

本当の親子関係がどのようなものだったのかは、他人が知る由もないですので、無関心でいたらいいと思っています。

たとえその芸人さんが過去に親の話をネタにしていたとしても、生活保護に関しては、他人は無関心でいいのです。

人にはそれぞれに、色んな事情や背景を抱えているということがあります。

それを他人がとやかく言う必要は無いと思っています。

不正受給を大きく問題にするよりも、大事なことがあります。


生活保護は、必要な人に届く制度でないと、命を護れないということです。

〈各国の扶養義務制度〉

イギリス、フランス、スウェーデンでは基本的に、扶養義務の範囲は夫婦もしくは未婚のカップルと未成年(未成熟)の子供に限定。扶養せねばならない子供の年齢は英が19歳未満、仏がおおむね25歳未満となっている。  

州によって異なるアメリカも、夫婦間と未成年の子供に対する扶養義務があるとされている点は欧州と共通。
ただし、カリフォルニア州では成人した子にも親を扶養する義務がある。


不正受給を受けている人のシーンが、チラッと映画でも描かれていましたが、(千原せいじさん、最高!笑)不正受給の問題は、制度の根拠に基づき、大げさでなく、粛々と対応すればいいと思います。

それを報道が、不正受給の問題を大々的に報じるから、ややこしくなり、正当に受給をされている人まで、白い目で見られるようになり、申請しづらい空気を作ってしまいます。

不正受給による、生活保護のイメージの悪さは、報道の責任がかなり大きいと思っています。

これはもしかしたら、不正受給は許さない!という、行政側の意図的な態度にも原因があるかもしれません。
それこそ、福祉とは正反対の態度ではないでしょうか。

報道関係の方も、視聴率や再生回数など、世間の興味に添うだけではなく、正しさという価値観や社会にとって本当に必要なことという視点でも、報じてもらえたらと思います。


私もこの映画のメッセージにとても共感しましたし、今後少しでも『護られない者』が居なくなるように願うばかりです。

※『守る』は危険なことなどから、身を守るなど、『護る』には大切にするという意味があります。


最後まで、子どもの支援者として、『護られなかった者たちへ』を見た感想をお読みいただき、誠にありがとうございました☺
もし、少しでも共感して頂けましたら、スキ!をよろしくお願いいたします。
今後の意欲にさせていただきます!!



〈子どもが困らない世界を作るために ここま〉


〈保育者として映画『蛇の人』を見た感想〉





















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