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登校拒否や登園拒否を軽く見ないで!
こんにちは。
いつも子どものみかたブログをお読みいただき、ありがとうございます!
保護者なら、気持ちよく、園や学校に行って欲しい、、ってみんな思っていますよね。
登園拒否や登校拒否の子どもは、昔はあまり居なかった?!
いや、おそらく絶対数はあまり変わらないと思われます。
というのは、園も学校も、それほど方向性や環境が激変したとは思えないので。
少しずつは変わってきていますが、、
では、以前はなぜ、登園拒否や登校拒否がここまで居ないように見えたのか。
それは‟子どもがかなり無理して我慢していた!”からと考えられます。
親や世間に、否応なしに行かされていたからじゃないかなって。
問答無用で苦笑
昔の子どもは(40年以上前の私の時代もそうですが)それだけ、大人(社会)への信頼感が持てていなかった疑いがありますね。
大人に主張したり、要求したりしても、力業で握りつぶされるだけと思っていました。
そんな経験を繰り返すと、
人間、主張したり考えることをあきらめるものです。
自分を発揮する前に、無力感に覆われてしまいます。
これは、自分の力をストレートに発揮する事や、人への基本的信頼の育ちにとても悪影響があると思われます。
人を頼っても仕方がない、自分で何でも解決しないといけない!それが進むと、自分で解決できない人を非難する!となります。
このような思考の人が多くなりますと、とても生きづらい世の中になります。
今、社会を形成している偉い人の世代が、まさにそんな感じですよね。
人を頼ったり、公的扶助を頼りにする人を否定したりします。
教育も、将来含め、ずっと自分の事は自分でする独立自活や自主自立!を目標にしていますので、子どもは我慢するもの!(登園拒否や登校拒否はしないもの)という考えにマッチしやすかったでしょうね。
でも今は、
子どもが少し素直な気持ちを訴えられる環境になり、まだまだ中途半端ですが、聞いてもらえるようになってきました。
最近では、保育や子育てにおいて大切なのは、子どもの人権や主体性、自尊心、自己肯定感、愛着、褒めて育てるなどという言葉が、普通に聞かれるようになってきました。
以前では考えられないことです!
そういう、子どもの主体性を発揮させることが、長い目で見た育ちにとっても大切だということが、証明されてきた結果だと思います。
でも、学校現場はまだまだそこまでも行っていないのかもしれません。
まだ、中途半端なので、学校と社会の間に挟まれた子どもや保護者が苦しむことになっています。
今は過渡期とも言えるのかもしれません。
不登校は、子どもや保護者は、先生との関係性や学校環境などに問題があると考えているのに、学校側は本人の無気力さに原因を求めていたりします。
このギャップを埋めるために、学校をさらに、子どもの主体性や人権を尊重出来る環境にしていく必要がありそうです。
園でも、家でも。
それには、一定の年齢以上の方は、フリースクールを頭ごなしに否定するような、昭和の価値観を更新する必要もありますし、大人にも子どもの意見に耳を傾ける余裕が必要そうです。
時間的にも、精神的にも、人手的にも、経済的にも。
最近、このようなお話ばかりで、
ちょっと心苦しいですが、
それを改善するのは、子ども、保護者、そして教員、保育士の個々の努力はもうとっくに限界を超えていて、
残念ながら、政治の力しかないと思っています。
国の偉い人が、もっと子どもの育つ環境について、政策の優先順位を上げて頂くしかないかなと。。
そしてそれは『困ったら相談したらいいよ!』などと言って、子どもにさらに努力を強いることではありません。
もう少し、園や学校になぜ行きたくないのか、なぜ行けないのかという、子どもの本音に着目して、人手や手間暇かけて対応を練らないと、根本解決にはならないと思います。
国の制度を改善して初めて、園や学校の先生、保護者に余裕が出来て、もっと子ども目線の保育や教育、子育てが出来るようになると思います。
こども家庭庁は、子どもの意見を聞くと言います。
もし、子どもの意見を本気で聞く気持ちがあるのなら、不登校や登園拒否をする子どもの意見をまずは聞いてみたらよいのかもしれません。
最後まで、登校拒否や登園拒否を軽く見ないで!をお読みいただき、ありがとうございます!
もし、共感して頂ける部分が少しでもございましたら、スキ!をぜひよろしくお願いいたします☺
〈無料参考記事 登園拒否は登校拒否よりも深刻ではない?!〉