セシボンといわせて(十三日目/爪)
〈十三日目/爪〉
ジョイントマットが更にボロボロになっている。床の向かって右側のうちの四分の一弱、 失われていて、欠片の屑だらけになっている。
午前中のうちに母と買い物へ出る。ついでに、先日来、段ボール製の爪研ぎが水でふやけて駄目になってしまったので、麻の爪研ぎというのも購入してみた。
買い物がてら、新しくできたばかりの動物病院へ立ち寄る。
セシボンの相談ついでに、母が猫の爪を抜いてもらえるのか尋ねている。余所の病院で断られた、と言っていたのに。いや断られたから尋ねているのか。
獣医さんが、自分は抜きたくない、爪があっても暮らせる環境を考えましょう、と言う。
我が家には以前猫がいた。青い目の白猫で、人一人が十分育つほど長生きした。
白猫は母の猫だったので、面倒は母がみていた。母が旅行へ行く時くらいしか私が代わって世話することはなく、そんな機会もそうそうは無かったし、世話といっても、指示通りにエサをやり、ウンチを取り除いた程度だった。
白猫がまだ相当若い頃。動物病院で勧められた母が、猫の爪を抜くと言い出した。そこの先生も飼い猫の爪を抜いていたそうで、かれこれ四半世紀近くも前の話になる。
私は反対した。もし自分が同じ目に遭ったらどうなのか、想像するだけでぞっとした。だが母は、家の中がボロボロにされるよりいい、と結局連れて行ってしまった。 そして前足二本の先っぽに真っ赤に染まった包帯をした白い猫を抱いて、可哀相に、可哀相にと、おんおん泣きながら帰ってきたのだ。
母は、人より体が小さな猫の包帯は割に太い木綿糸だったのと、帰宅して私に酷く責められたのを覚えていると言う。私も、分かってて自分が連れて行ったのだから泣くな、と憤った記憶がある。母を止められなかった自分を嫌悪する気持ちまで上乗せしていたと思う。
それなのにまた、同じ目に合わせようと考えるのか。母自身あんなに泣いたのを忘れてしまったのだろうか。
獣医さんの〝爪があっても暮らせる環境を考える〟という答えに、私は心の中で手を合わせ、頭を下げて、心の底から感謝した。
夕方、ケージが狭く感じるので広くする方法は無いかと、数日考えていた母が、自身でワイヤーネットで組み立てたカゴを、ケージの扉にくっつけようと、真剣に方法を探っている。その行動力にはいつも舌を巻く。
今日は水がよく減る。飲んでいるのだろうか。それならと、口当たりの良さそうなスープ状のエサをあげてみる。
夕方にはセシボンも少々ぐったりした風で、四肢を伸ばして頭をケージにもたれている。 蒸し暑いのが堪えているようにも見える。
夜になりトイレの片付けと餌やりをする間、んー、んー、と鳴いていたが、私に言っても何もしてくれないし、しようがない、と諦めたのか、そっぽを向かれてしまった。
一つ前のお話はこちら↓です🐈⬛
セシボンとの日々をまとめました。目次もありますので、お好きなところをお選びいただけます↓↓😊🐈⬛🐈⬛🐈⬛
☆☆☆見出し画像はみんなのフォトギャラリーよりにきもとと様の作品『なーに?』を拝借しております。いつもありがとうございます😊☆☆☆☆☆
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