1つの世界線でしか生きられない私たち
先日、HiHi Jetsのメンバーである髙橋優斗くんの事務所退所が発表されました。
※最初に述べさせていただきますが、私は該当担ではなくAぇ担です。他担の私がこの件に触れることに、気分を害する該当担の方もいらっしゃるかもしれませんのでご注意ください。
ただ、私は事務所担みたいなところもあるためHiHi Jetsのことも応援しており、冠番組やYouTube、ブログなども日頃から拝見しております。
このことを知ったときの私は、衝撃、モヤモヤ、苦しさ、信じられないという感情で埋め尽くされました。
なぜこの感情が生まれたのか、今何を思うのか、綴っていこうと思います。
①当たり前にそこにいてくれると思っていた
圧倒的Jr.のセンター。日頃から感じていただけでなく、昨年わっしょいCAMPの現場に入って、初めて生でHiHi Jetsをみて改めて実感しました。
当たり前にこの事務所にいてくれるし、当たり前にJr.のセンターでいてくれるし、当たり前にデビューするし、当たり前にHiHi Jetsのメンバーとして5人で活動し続けてくれるし、当たり前に事務所を引っ張ってくれるし。
全てが当たり前だと、当たり前などないと頭ではわかっていても、どこかで彼はそこにいてくれると思い込んでいた自分がいました。
②デビューに関して思うことがあった
Aぇ担になったのが2020年。その前からHiHi Jetsの存在だけでなく、Jr.として勢いがすごいグループだということも、デビューに近いグループなんだろうなという認識もしていました。
Aぇ担になってから、Jr.全体への興味や知識が増えていく中で「なんでHiHi Jetsまだデビューしてないんや」と思う機会が何度もありました。オリ曲(グループの持ち曲のこと)の数、グループのチームワークや役割バランス、バラエティ力、アイドル力、華のある存在感。
後ほど自担のことも交えて述べますが「あのときデビューできていれば…」「あのときこうなっていれば…」と考えちゃうんですよね。たらればを考えてもなんの解決もしないのに。
※関西Jr.担と関東Jr.担ってよく揉めてるイメージがあって苦しくなることもあります。私ももちろん「自軍のデビュー」を常に願っていましたが、「〇〇よりも先にAぇがデビューしてほしい」という考えは持っていませんでした。デビューや夢に向かって、切磋琢磨しながら頑張る彼らをまるっと応援しています。
③自担脱退退所時のフラッシュバック
私はAぇ担であり、大晴担でもあります。昨年末に自軍のAぇ! groupのメンバーであり、自担である福本大晴さんの突然のグループ脱退・事務所退所が発表されました。
今でも消化しきれていませんが、当時の私は、言葉では表現できないほどの絶望を味わいました。もう今世で生きていく希望がないと、涙する毎日を過ごしていました。
※現在進行形の表現をお許しください。また、自分の意思で脱退退所を決めた髙橋優斗さんと、コンプライアンス違反による契約解除で脱退退所になった福本大晴を並べて話題に出すことに不快に思う方もいらっしゃるかもしれません。あくまでも”突然の脱退退所”という部分で並べておりますので、ご容赦ください。
当時のことがフラッシュバックしたこと、そしてネット上でみる該当担の想いに感情移入し、胸を締め付けられるような苦しさがありました。
昨年末までの私は、今か今かとAぇのデビューを心待ちにしていたし、彼も彼らもグループとしての先の夢も当たり前のように語ってくれていたし、当たり前にこの事務所にい続けてくれると思っていたし、このグループでい続けてくれると思い込んでいました。
1人の推しとしてはもちろん、グループまるごと愛し、グループに属する推しを愛するというのが今までもこれからも私の推し方なので、より一層苦しいものでした。
事務所のゴタゴタで”ジャニーズ”としてのデビューが叶わなくても、思い描いていた形でのデビューじゃなくても、彼らがずっと一緒に笑って活動していてほしい。それだけは信じて疑いませんでした。
そんな信じて疑わなかった願いも叶わなかった。
彼もデビュー内定を知らされていた事実を知り「あのときこうなっていれば…」「どうすれば6人でい続けられる未来にできた?」とタイミングのたらればを考えては、この世界線に絶望していました。当事者でもなければ、ただのファンの1人に過ぎないのに。
当たり前はないんだと思い知ったはずなのに、結局またHiHi Jetsが5人で活動し続ける未来を、髙橋優斗がこの事務所にいる未来を当たり前だと思い込んでいました。
④ファンと推しの関係を考えてしまった
推しは生きる糧であり、希望であり、意味である。
推されている側は、ファンに活動を応援してもらって、夢を一緒に追いかけてもらって、それを仕事として収入を得ている。
ファンと推しについて考えると一生答えには辿りつかないけれど、結局推しも1人の人間で、推しには推しの人生があるということ。人生のその先を決められるのは推し自身だけ。
あえて冷めた言い方をしてしまうと、他人の勝手でしていることを他人が勝手に応援しているだけなんですよね。
こっちがどうすることも出来ないし、強要してもいけない。
推しが生きがい、希望、頑張れる理由(私のことです、、、)って素敵なことだけど、それが強すぎると深すぎると濃すぎると危険だなとつくづく思います。自分がどうにも出来ないことで人生が左右され過ぎてしまう。
ファン側がこうして欲しい、こうあって欲しいと願っていても、きっと推しもそのはずだと思い込んでいても、推しの本心なんてファン側は知るよしもないわけで。
大晴に関しては、大晴もファンも思いもしないジャニーズ事務所での、Aぇとしての活動終了。(大晴が悪いし、大晴の本心を知っているわけではないけれど、同じ方向を見ていたと信じたい)
何も望まないとか、期待しないとかは出来ないし、それだとファンと推しの関係は成り立たない気もする。だけど、他人である1人の人間に対して、また1人の人間である私(たち)が思い入れすぎるのも良くないよなと、ファンと推しの関係について改めてぐるぐると考えてしまいました。
今何を思うか
「あのときこうなっていたら…」と思ってしまういくつかの世界線。もしかしたらあるのかもしれないけれど、私が”今ここ”で生きている世界線はひとつしかない。
私自身のことだけでも、後悔したりあの道を選んでたらと思うことが多々あります。それに加えて、1人の人間のファンになって応援して、推しが自分の人生の1つになる。
自分の人生が思い描くものになる確率×自分にとって推しの未来が思い描くものになる確率(=推し自身が思い描く未来 とは限らない)なんて、低くなて当然です。
私が生まれたこと、推しが生まれたこと、生きている時代が同じであること、推しが事務所に入所したこと、推しがグループに属したこと、あのとき風邪をひいてTiktokを眺めたおかげで推しと出会えたこと、そもそも出会うきっかけになったTiktokというサービスがあること、LIVEに当選したこと、コロナで中止になってしまったけどその分振替で会えた時は嬉しさが倍増になったこと、会場を押さえてくれた人がいたこと、、、
”推し”と”私”だけでなく、間接的なことも含めて全てをあげたらキリがないけれど、当たり前のように流れている日常の中で、ひとつひとつの偶然が重なって必然となって今がある。
別の世界線があるとしても”今ここ”が必然であり、それはときに残酷でもあり、奇跡だと思うんです。
きっとこれからも、当たり前を信じてしまう自分には抗えないのかもしれない。
「あのときこうなっていれば…」と自分の思い描く別の世界線を羨むことがあるかもしれない。
それでも、推しと出会えて人生を共にした、共にする(過去の思い出も含めて)ことができる、必然で残酷で奇跡のようなたったひとつの私の世界線に感謝しながら、大事に生きていきたい。
P.S.
こんな前向きなことは年末年始では全く考えられなかったけれど、なんでも時間が解決してくれるんだとしみじみと感じています。6人も大好きですし、今の5人と1人も変わらず応援しています。
もちろん、未練はあります。6人で活動し続けている世界線を望んでしまうし、過去の媒体を見て涙したり、5人の供給に彼を重ねてしまうこともあります。きっとこれからも。それでも確実に、時間が流れることで前に進んでいる。
だからといって該当担さんに「時間が解決するから大丈夫だよ!」なんて勝手なことは言えないし、私がその立場だったら言われたくないです。
ただ、大きな決断をした彼も、これからもグループを守っていく4人も、これまでたくさんの愛を注いできた該当担さんにも、幸せでいて欲しいと心から思っています。