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フェミニズムに『劇場版モノノ怪』が発見されたら

あるポットキャストで、アニメーションが唯一無二であると聞き、鑑賞してきた。

アニメーションについて後述するが、舞台設定が古く、問題が多い印象を受けた。

批判が目立っていない

現時点では、ファンのみが鑑賞している段階なのだろう。
主人公は魅力的である。歌舞伎のような長セリフも格好良いし、ビジュアルも特異的で目立つ。

世界観も中世風で、異国情緒が漂っており魅力的である。

上記2つをメインとして、一定数の観客を得たと思われる。

舞台設定 (大奥・シスターフッド)

一番の不満は、必然性のない設定が多いこと。
物語のあらすじは以下の通り。

大奥に新人女中2人が足を踏み入れる (公式の表現を引用)
その動機が異なる2人が、大奥内での怪奇現象に巻き込まれていく。
最終的に、陳腐なシスターフッドにより物語は回収される。

ドラマに政治が必要なので、中世で女性が政治的な行える舞台として大奥が選択されたのだろう。
しかし、鑑賞後の感想としてはその必然性がなかったように思われる。平安期に行われていた「宮仕え」という形式でも良かったはずである。

女中 アサとカメ

アサの政治的な動機は、現代的でもあり許容できる。
しかし、カメの動機は現代的に許容できない。御中臈(おちゅうろう、将軍に性的に奉仕する)に憧れて、自分の人生を決定することは現代的にはありえない。

キャラクターに話を移すと、カメの動機自体はそのキャラクターに沿っているように感じさせるものである。
すると、カメのキャラクターありきで、物語が設計されているような感じがしてくる。
このオタクを満たすためのキャラ設定には吐き気がする。
献身的で幼児的で無害な女性を搾取したいという深層心理にアプローチしている。

アサは政治的な自己実現を達成する中で、カメへのレズビアン的な思いを募らせていく。
この思いも、レズビアン的である必然性はなく、単なる友情でも良かったはずである。そして雑なレズビアン的な描写は、作家による性的少数者文化の盗用に近い行為として批判されるべきである。

今回は大きなヒットにならず、フェミニストに発見されていないが第2作目以降に懸念が残る。

アニメーションについても、ほぼ新しさを感じなかった。
原色系の色合いは、村上隆と変わらない。
和紙風の表現も、見たことはないがそれ以外の効果を感じない。
キャラクターなどの動きも凡庸である。3Dモデルならもう少し新規性を出せても良かったと思う。


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