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書評:カササギ殺人事件(上下)

カササギ殺人事件
著者:アンソニー・ホロヴィッツ、訳:山田蘭
出版:創元推理文庫

ミステリは最近のブーム。マダミスをちょくちょくやるようになって、自分のタスクだけで精一杯で周りを観察できていないから、推理力高めるためにも!とこっそり読んでます。

『その裁きは死』などのホーソーンシリーズ(A Line to Killも早く読まなば)は、そんなマイミステリブーム前から読んで、すごくおもしれーやつ!って思ってたものの、カササギ殺人事件はなかなかボリュームがすごくて手を付けられてなかったのですが、ついに読みました!

推理小説内推理小説、そんな形式初めてで、上巻終わったときなんでや!!ってなったし、現実とリンクめっちゃリンクしてるやん!って感動した(小並)

好きなところ二箇所ほど。殺人とは言わないけど、後ろめたいことや無視してることなど、なにか引っかかることが心のなかに残り続けると、きっと平穏に暮らすのは難しいんだろうな、都度清算しなくちゃな、と心に誓った(仕事のミスの後始末をしながら)

あと、自分のやりたいことと得意なことが全然別方向で、やりたいことを抑圧しなきゃいけなくなると、自分はどう考えるだろうか?
好きなことは仕事にしない、得意なことを仕事にしよう、好きなことは趣味にしよう。という人もいれば、好きなことを仕事にして情熱全身全霊かけよう。という人もいる。
自分の場合はやりたいことと得意なことと好きなことと自分の性格が全部微妙にズレてるから、前が向きにくくなってるのかな?でも、方向が一緒だと楽しいだろうし、方向が違っても、色々やれて面白いなと思うから、今はまだ、そんなに悩まなくてもいいのかな?笑まぁいいか。

この世に殺人者ほど孤独な人間はいない、ふいにそんな思いが頭をよぎった。これがカインの呪いなのか――陽の当たる場所から追いやられ、さまよいながら逃げつづける運命。どう正当化しようとも、チャールズはアランを塔の上から突き落とした瞬間、自分に残っていた人間らしさすべてに別れを告げてしまったのだ。いま、そこに立ってわたしを見おろしている人物は、もはやわたしの友人でも、仕事仲間でもなかった。ただの抜け殻だ。いま、この人は口封じのため、わたしを殺そうとしている。なぜなら、いったん誰かを殺してしまったら、その人間はさらにふたり殺そうと、二十人殺そうと何も変わらない、神のいない領域に足を踏み入れてしまうからだ。そのことを悟り、わたしはこの現実を受け入れた。チャールズの心には、二度と平穏は訪れない。孫といっしょに、心底から楽しく遊ぶ日も来ないのだ。ひげを剃るたび、鏡には殺人者の顔が映る。そう思うと、ほんのわずかな慰めにはなった。でも、わたしはもう死ぬのだ。抗うすべは何もない。恐怖が全身を走りぬける。
問題は、アランがあまりに高尚な作品を書こうとしていたことでした。でも、たとえ批評家たちに絶賛されても、ほとんど誰も読んでくれないような小説を書いてどうするの? その才能を、もっと読みやすいミステリを書くことに注ぎこめばいいのに。もしもその本が売れたら、作家として実績を積むことができるし、それから本当に書きたい作品に取り組むこともできるはず。まずは出発点に立つことが大事だと、そんなふうにメリッサは言ったそうです。

あと、勢いに任せて10冊くらいミステリ買ったから、読み終わる頃にはポアロになれてるかな???

それでは!

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