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朝ドラ「らんまん」感想文

朝ドラ「らんまん」が終盤を迎えている。
「らんまん」はこれまで私が観てきた朝ドラの中で、一番好きかもしれない。
他にも、ときめき、ワクワクし、泣き、笑い、「明日まで待てない!」と思った朝ドラは多かった。
感情の振れ幅は例えば「おちょやん」の方が大きかったかもしれない。
痛みがとてつもなく大きく伝わるドラマだったから。
でも、「らんまん」は何よりも「居心地が良い」ドラマだった。
ずっとその世界に浸っていたくなる様な。
それはひとつのことだけをブレずに追いかける主人公たちの姿が描かれていたからだろうか。

主人公は大好きな植物のためだけに生きている。
その妻は夫の夢を叶えるためだけに生きている。
そして二人は心の底から愛し敬いあっている。

その姿をどうしても自分と照らし合わせてしまう。
主人公を自分に置き換えてみたとき、私は結局自分の好きなことを全うできずに生きてきてしまったと知る。
妻を自分に置き換えてみたとき、私は夫を支えることができなかったと知る。
夫婦の在り方を置き換えてみたとき、自分と夫との在り方が破綻していると知る。
実はどれもドラマで気づかされたわけじゃなくとっくにわかってたけど、あらためて突きつけられるとかなり痛い。

でも、私はまた知っている。
「らんまん」の主人公たちのように理想的な姿になっていないからといって、落ち込む必要はない。
そもそも思い通りに生きている人なんてどれだけいるんだろう?
つまづいたときって、ともすると自分だけがダメなんじゃないかとか自分だけが不幸なんじゃないかとか、どんどん深みにはまってしまいがち。
でも、冷静に辺りを見渡してみると、たくさんの愚痴や妬みや嫉みが溢れている。
満足していないのは自分だけじゃないのだ。

理想通りにいかないからこそ、こういう物語がみんな好きなのだ。
そうなれないからこそ憧れるのだ。
所詮ドラマよね、と思いながらもともに泣き笑いしたいのだ。
夢は叶うという歌に勇気づけられるのは、夢は叶わないものだからなのだ。
たくさんの曲をセールスし憧れの武道館のステージに立ったミュージシャンが”夢は叶う”と歌うとき、「そりゃあんたは叶ったろうよ」と思いながらもやっぱりそのパワーを受け取りたいのだ。

夢が叶わないとわかったとき、理想の自分になれないとわかったとき、希望が大きいほど絶望したときの痛みは大きい。
でも、私たちの時間は有限だ。
来世でやり直すことなんてできない。
だからもうダメだとわかったらどこかで再スタートを切らなくてはならない。
自分が欲しかった成功は、とりあえずドラマの主人公や好きなアーティストに任せて、また新たな希望に向かって突っ走るのみだ。

別の幸せや希望を探す能力ってとても大事。
もしかしたらそれを追いかけるだけで人生が終わってしまうかもしれないけど、絶望して残りの人生を生きるよりは、ずっとずっと楽しいんじゃないですかね。











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