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”今日はとてもいい日だった”そう言えるなら。
今日はとてもいい日だった
今日はすごくいい日だった
大学生になって、恋愛って難しいなぁとことあるごとに思う。好きな人はいないのに、私のことを大切にしてくれる人は欲しくて。なんて傲慢なんだろうと呆れてしまう。私の物語全てを差し置いて全部誰かにどうにかしてほしいなんて、甘ったれた考えに身を委ねてしまいそうになる。
焦ってばかりみたいで、自分が恥ずかしくなったりする。
なんかもっと大切なことが絶対にあるはずなのに。そう思う度に疲れてしまう。高校生のときの自分のことを思い返す回数が、最近増えた。
付き合っていない男と、カラオケに行った。
何の自慢にもならない、そんなしょうもない行動にどことなく浮かれてしまう自分が恥ずかしい。楽しかったと思ってしまう自分があんまり好きになれない。楽しくて、彼の優しさがやっぱりちょっと嬉しくて。自分の安っぽさに嫌気が差す。慣れてない幼稚さが情けなくなって、少し悲しくなる。
大学生になって、毎日がすごく楽しい。冗談でも、自己暗示でも、なんでもなく。毎日が楽しくてしょうがなくて、キラキラしていて、自分がなんでもできそうな気がする。すごくすごく充実していて、日々出会う人々がみんな物凄く素敵に見える。過去に戻りたいなんて今は一ミリも思わない。今が人生で一番楽しいと、豪語するのすら恥ずかしくない。誰に話しても自慢話にしか聞こえないということが自覚できるぐらい、本当に今の私は楽しい話しかできない。
なにか足りないものがあっても、それが人生だよな、と余裕がある今の私は思える。足りないものはこちらから求めてしまえばいいと、強気でいられる。
上がるところまで上がったら、あとはもう落ちるだけなのではないかと思ってしまうのは、寂しさに弱いタイプの人間の性だろうか。そうやって焦ってばかりなのは、私が生きるのが上手くないからだろうか。そうであってほしいな、と少しだけ思う。今までもずっとそうやって生きてきた私の人生だから。それが私という人間の作り方であり、材料だから。私はそれ以外の生き方を知らないから。
なにもかも全てが宝石のように見える深夜。私はベランダでエッセイを打っている。夢のようで、微睡みのようで、少し蒸し暑い。
欠伸が出る。
付き合っていない男と行ったカラオケは死ぬほど楽しかった。優しさが少し憎たらしくて、とってもいい人だった。
夏祭りに誘ってくれた貴方の思惑は考えないようにしようと思う。
甘くてじんわりとクルような夜の繁華街だった。
恋とか、愛とか、よく分からないけれど。夏祭りのお誘いにこっそり浮かれてしまった自分の初心な感覚は、あんまり忘れたくないなと思う。
全然重ならない歌詞なのに、きゃないの『コインランドリー』のラスサビが頭から離れない。
今日はとてもいい日だった
今日はすごくいい日だった
少なくとも今は頷きながらそう言える。
それならもう十分なのかもしれない。
それだけでもう素晴らしいことなのかもしれない。
そうだったらいいなと願っている。
そうだったとしたら、私はまだ明日からもそうやって生きていけるような気がする。