なんにもない真ん中で二人
私と貴女の平均値を取ったら何だろうと、考えたことが何度かあります。
気が合うとか、一緒にいて楽しいとか、そういう安易な言葉で纏めてしまうことを、貴女はどう思うでしょうか。普通に喜んでくれるような気もするし、そうでもないような気もします。
貴女がただいい人だから、私が都合よく頼ってしまっているだけかもしれない、そう悶々としてしまう日があって。同時に、貴女が私に対して後ろめたさを感じることがあったらどんな内容であっても物凄く嫌だなぁ、とも思います。自分が感じている感情を、相手には感じていてほしくないなんて、少し傲慢なみたいです。
必ず求めていた言葉をくれるというわけでもないけれど、いいことは全部貴女に一番に伝えたいと思っています。
私といたときと、貴女が変わっていないことが物凄く嬉しくて。貴女が変わってしまったことすら物凄く素敵に見えます。貴女らしいな、と思うとき私はとっても懐かしくて。今の貴女はこう考えるんだ、と思うとき私はとっても感慨深くなります。
私が貴女の中で、何かになることができているのか。正直一ミリもピンと来なくて。だから余計に手放したくないな、と思うのかもしれません。思考回路が一切重ならないからこそ、貴女を楽しめるのかもしれません。
求めるくせにあげるのが下手な私だから。今日もしっかり反省中です。いっつももっと貴女の話を聞いてあげればよかったな、と。もっと素敵だと思うところを伝えればよかったな、と。自分に対して、なんだかなぁ、と思ってばかりです。
私と貴女を真ん中で分けたら、きっと一つも交わらないような気がします。この関係性が続いていることを、人生の機微だと信じてもいいでしょうか。たとえただの怠惰だとしても、私はそう信じていたいような気がします。
私たち、もうスタバで同じワークを広げていたあの夏には戻れないみたいです。修学旅行にはもう二度と行けないみたいです。
どんどん私たちが共有した時間は遠ざかっていくみたいです。
それが無性に寂しくて、たまにまた時間を共有したくなったりします。今更なのかな、なんてそんな不安は気にしないふりをして。
誕生日をお祝いするのが少しだけ寂しい気がしてしまうのは、私と貴女だからでしょうか。どんどん過ぎていく時間になんだか少し慄いてしまいます。
つかず離れず、ずっと貴女と別の人生を過ごしていけたら、それ以上のことなんてないような気がします。真ん中で混ざるなんてこと、絶対にないような私たち二人の人生が、ずっと続いていけば、私は人生って面白いなと思い続けられる気がします。
混ざるものなんてなんにもない、私と貴女の真ん中で。
人生ってどうしてこうも未知数なんだろうと、思いを馳せながら。
それがとんでもなく尊いことのように思えるこの感覚を、貴女と共有したくて。
私はこのエッセイを書きました。