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【古文】古文だからこそ分かること/『紫式部日記』を読んで

 これは、『紫式部日記』が如何なる本なのかという全体像を紹介するものでございます。

 『源氏物語』は、光源氏を中心にした物語が展開いたしますけれども、光源氏が死んだ後も子や孫たちの物語として続いて参ります。光源氏の何か意志を継ぐとかの生き方が語られるのかと申しますと、そうでもございませぬ。人として同じ情欲に囚われ、同じ葛藤を懲りることなく繰り返していくのでございます。人物が誰であるかの性格は勿論重要ですけれども、物語の後半になるに従い、個人の物語よりも「時の流れ」の中で「人」が何をしているのか、その行為(仏教でいうところの「業(ごう)」)が描かれていく、というようなものでございます。

 というような見方でおりますと、1000年も前の女人たる紫式部がどのような思いで、この長編小説を書き続けたのであろうかということに興味を抱くのでございます。その答えの一部が『紫式部日記』にございました。

 まず、思いますに、歴史に登場する人物を知る上での書き物が非常に少のうございますね。戦や災害で消失したとか、個人ゃ男女の差別など「記録」を残すことに関する諸々の価値観が影響したのでございましょうか。
 作者の紫式部については本名、生年など全く分かっておりませぬ。幾代に亙って学者が調べようにも、もともと記録が残っていないのでございますから、調べようがございませぬね。
 紫式部についておおよそ分かっていることといえば、父は漢学者の藤原為時、母は「藤原為信女」(藤原為信の娘)、生年は天録元年(970年)から天元元年(978年)まで幾つかあり、没年も長和3年(1014年)から長元4年(1031年)まで幾つか。40年から60年の生涯と推測され、弟に藤原惟規、早くに母、姉を亡くし、夫の藤原宣孝とも娘賢子を儲けた後二年にして夫と死別、などでございます。

 『紫式部日記』(写本では『紫日記』)は、日記として読み始めますと、途中から違った世界に入って行く書き物でございますよ。
 全編、第一節「秋のけはひ入り立つままに」から第六十三節「上は」までございます(写本では節という区切りもなく題も付いてない)。
 おおかたの注釈書(小谷野純一『紫式部日記』笠間書院など)に拠れば、三部構成で
 (1)日記体 第一節「秋のけはひ入り立つままに」~第四十二節「正月一日」
   (一条天皇の中宮彰子の出産に関した日記体の部分)
 (2)書簡体 第四十三節「このついでに」~第五十七節「御文に」
   (内裏の女房、和泉式部、赤染衛門、清少納言など人物評の書簡体の部分)
 (3)日記体 第五十八節「十一日の暁」~第六十三節「上は」
   (幾つかの逸話を挙げる日記体の部分)
とされております。
 随筆風の書簡体が入り不自然なのは、写本の段階で、書簡体(消息文)が紛れ込んだという説もあるようでございます。
 しかし、三部構成とするほど明確な区分を感じませぬ。日記風に書かれているかと思えば、随所に随筆風のところ(有名な和泉式部、赤染衛門、清少納言などの人物評はこの部分)があり、いろいろ入り混じっているのでございます。
 しかも、欠落を思わせるように、いきなり始まって、書き掛けのような終わり方なのでございますよ(これはこれで纏まっているとする説もあり)。

 『源氏物語』、『紫式部日記』、紫式部の和歌、どれを読んでも、よく目にする単語がございます。それは「憂(う)し」でございます。
 漢和辞書には、「よくないことになるのではないか」という予測される悪い事態に対して心配すること、ひどく悲しむこと、心の苦しみを訴えること、病に苦しむこと、の意とございます。
 古文の解説書にも「物事が思いのままにならないことを嘆く心情」「辛いとか遣り切れないとか思う状態」「人に辛いと思わせる相手側の状態」などいろいろな表現がされております。
 これはつまり、古語「憂し」一つに諸々の状況を表現する意味が含まれているということでございましょう。
 紫式部の人生観のどこかにこれらが潜んでいるものかもしれませぬ。
 これを以って、紫式部の根の暗さを指摘する向きもございますけれども、必ずしもそうとは思えませぬが。心情を詠う和歌を読めば豊富な語彙から選ばれた言葉の使い方が見えて、生まれながらの感受性の豊かさと漢学を学ぶ環境で育まれた知性の高さからの表現なのであろうと思えるのでございます。その心情の吐露が物語として表わされたとも考えられるところでございます。

画像:『紫日記』(黒川本)の書き出し部<宮内庁図書寮文庫>
画像:本文の平仮名(変体仮名)
※黒川本は鎌倉時代の写本ゆえ、原本に近い写本と云われる

 紹介がてらに、始まりと終わりの部分を、以下に載せましょう。
  ※古文の引用は<小谷野純一『紫式部日記』笠間書院>版、口語訳は高安城征理 太文字、辞書に基づく注釈は本記事の著者

♣第一節「秋のけはひ入り立つままに」
 秋のけはひ入り立つままに、土御門殿(つちみかどどの)の有様、いはむかたなくをかし。池のわたしの梢ども、鑓水(やりみず)のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの色も艶(えん)なるにもてはやされて、不断の御読経(みどきゃう)の声々、あはれまされけり。やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水の音なひ、夜もすがら聞きまがはさる
 おまへにも、近こうさぶらふ人々はかなき物語するを聞こしめしつつ、悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させたまへる御有様などの、いとさらなることなれど、「憂き世の慰めには、かかるおまへをこそたづねまゐるべかりけれ」と、うつし心をばひきたがへ、たとしへなくよろづ忘らるるにも、かつはあやし。

 (秋の気配が深まるにつれて、土御門殿邸の有様は、いいようもなく情趣深いものです。池の周りの梢など、鑓水のほとりの草むらが、それぞれ色づきわたって、あたり一帯も魅惑的に見せて、途切れることのない読経の声がしみじみと響いて来ます。徐々に涼しくなる風の気配に、例の切れ目のない鑓水の響きが、夜通し、読経の声と入り混じって聞こえます。

 御前(中宮のこと)も、近くに仕える女房たちがとりとめのない話をするのをお聞きになりながら、苦しくていらっしゃるに違いなと思われるのに、さりげなく隠されていらっしゃるご様子などが、ほんとうに今さら申し上げるまでもないことなのですけれども、「つらい現実の慰めとしては、このような中宮様をこそお探し差し上げてお仕えすべきであったのだ」と、平生の心をすっかり変えて、たとえようもないほどにいろいろ(厭わしいことが)忘れられてしまうにしても、一方では変な気持ちなのです。)

 ※「入り立つ」自動詞、 タ行四段活用(た/ち/つ/つ/て/て)
   入り込む、親しく出入りする、物事に深く通じる、の意
  ☞「京にいりたちて、うれし」<土佐日記 二の一六>
   (京の町には入って、うれしい)
  ☞「何事もいりたたぬさましたるぞよき」<徒然草 七九>
   (何事も深く通じていないようすをしているのがよい)
 ※「土御門殿(つちみかどどの)」は、一条帝の中宮藤原彰子の父藤原道長の邸宅のこと。彰子は出産のため里下がりをしている。
 ※「もてはやす」他動詞、サ行四段活用(さ/し/す/す/せ/せ)
   引き立たせる、ほめたてる、の意
  ☞「川の気色(けしき)も山の色も、もてはやしたる造りざまを」<源氏物語 東屋>
   (川の景色も山の色も、きわだって美しく見せてある(家の)造り方を)
 ※「聞きまがはさる」⇒「聞きまがはす」(他動詞)の未然形「聞きまがはさ」+「る」(自発の助動詞、自然に~するの意)の終止形
 ※「聞きまがはす」他動詞、サ行四段活用(さ/し/す/す/せ/せ)
   他の音と入り交じって、区別がつかないように聞こえる、の意
  ⇒「まがふ」自動詞 ハ行四段活用(は/ひ/ふ/ふ/へ/へ)
    入りまじる、入りまじって区別できない、よく似ている、の意
  ☞「えひ香(かう)の香(か)のまがへる、いと艶(えん)なり」<源氏物語 初音>
   (えい香の香が入りまじっていてたいへん華やかです)

 ※「べかめる」 ⇒「べか-めり」(連語)の連体形
  ⇒「べか-めり」⇒「べし」(推量の助動詞)の連体形「べかる」+「めり」(推定の助動詞)の終止形、撥(はつ)音便「べかんめり」の「ん」が表記されない形
   ~にちがいないと見える、~にちがいないと思われる、の意
  ☞「これが事をばかれに言ひ、かれが事をばこれに言ひ、かたみに聞かすべかめるを」<枕草子 はづかしきもの>
   (こちらの事をあちらに言い、あちらの事をこちらに言い、互いに聞かせているにちがいないのに)
 ※「うつし心をばひきたがへ、・・・かつはあやし。」
  「うつし」は「顕(うつ)し」(形容詞)、理性的に覚醒した有様、「心」が付いて、現実を「憂き世」と措定(ある事物・事象を存在するものとして立てたり、その内容を抽出して固定する思考作用、推論の前提として置かれている、まだ証明されていない命題、「定立」)して、固執する平生の思惟を示す。陶酔し、忘我の境地にいる現況への、もう一方からの眼から見ると、という意味。<小谷野純一『紫式部日記』笠間書院>
 ※「ひきたがふ」他動詞 ハ行下二段活用(へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ) ⇒「ひき」は接頭語
   変更する、期待に反する、すっかり変える、の意 
  ☞「方塞(かたふた)げて、ひきたがへほかざまへと」<源氏物語 帚木>
   (方塞がり(陰陽道で悪い方角)だからといって(方角を)変更し、ほかの(女の)所へと)
  ☞「かくひきたがへたる御宮仕へを」<源氏物語 竹河>
   (このように期待に反した御宮仕えを)
 ※「かつ-は」副詞、「かつは~かつは~」の形で、一方では。一つには、の意
  ☞「かつは人の耳に恐り、かつは歌の心に恥ぢ思へど」<古今集 仮名序>
   (一方では人聞きをはばかり、一方では歌の精神に恥ずかしく思うが)

♣第六十三節「上は」
 上(うへ)は、平敷(ひらしき)の御座に御膳(おもの)まゐり据ゑたり。おまへの物、したる様、いひ尽くさむ方なし。簀子(すのこ)に北向きに西を上(かみ)にて、上達部。左、右、内の大臣殿(おほいどの)、春宮(とうぐう)の傳(ふ)、中宮の大夫(だいぶ)、四条大納言。それより下(しも)は、見えはべらざりき。

 御遊びあり。殿上人は、この対(たい)の辰巳(たつみ)のあたりたる廊(らう)にさぶらふ。地下(ぢげ)に定まれり。景斉(かげまさ)の朝臣、惟風(これかぜ)の朝臣、行義(ゆきよし)、遠理(とほまさ)などやうの人々。上(うへ)に、四条大納言拍子(はうし)とり、頭(とう)の弁琵琶、琴は□(不明)、左の宰相の中将䗥笙(そう)の笛とぞ。双調(さうでう)の声にて、「安名尊(あなたふと)」、次に「席田(むしろだ)」「この殿」などうたふ。曲(ごく)の物は、鳥の破急(はきふ)を遊ぶ。外(と)の座にも、調子などを吹く。歌に拍子うちたがへて、とがめられたりしは、伊勢の守にぞありし。右の大臣(おとど)、「和琴(わごん)いとおもしろし」など、聞きはやしたまふ。ざれたまふめりし果てに、いみじき過ちのいとほしきこそ、見る人の身さへ冷(ひ)えはべりしか
 御贈り物、「笛歯二つ、筥(はこ)に入れて」とぞ見はべりし。

 (帝には、(南廂の)平敷の御座に御膳を用意して差し上げ据えてあます。御前の御膳は、作りの趣にはいい尽くすすべもありません。(南の)簀子敷に北向きに西を上座にして、上達部(が座につかれる)。左、右、内大臣、春宮の傳、中宮の大夫、四条の大納言、それより下の方は、見えませんでした。

 (管弦の)御遊びがあります。殿上人は、この(東の)対の東南にあたる廊に伺候されています。地下(の座)と決まっています。景斉(かげまさ)の朝臣、惟風(これかぜ)の朝臣、行義(ゆきよし)、遠理(とほまさ)などの人々。殿上で、四条の大納言が拍子をとり、頭の弁の琵琶、琴は[不明]、左の宰相の中将は笙の笛ということです。双調(そうじょう)の音(おん)にて、「安名尊(あなとうと)」、次に「席田(むしろだ)」「この殿」などを唄います。楽曲は、迦陵頻(かりょうびん)の破と急を演奏します。野外の(地下の)座でも、調子をとる笛などを吹きます。歌に拍子を打ち間違って、咎められたのは、伊勢の守であったのでした。右大臣は「和琴がとてもすてきだ」などと、聴きながら調子を取っていらっしゃいます。ふざけていらっしたらしかったその果てには、たいへんな失敗の気の毒なことといったら、見る人の身さえ寒気立ったのです。
 (殿から帝への)御贈り物は、「笛(歯二つ)、筥に入れて(差し上げる)」ものと拝見いたしました。)

 ※「鳥の破急(はきふ)」、「鳥」は邦楽の演曲、部構成の「序破急」の「破」と「急」のこと
  ⇒「序」は緩やかで自由な拍子の導入部、「破」は変化のある拍子の展開部、「急」は急速な拍子の終局部。
   「鳥」とは、極楽浄土に住むという美声の霊鳥「迦陵頻伽(かりょうびんが)」(上半身が人、下半身が鳥)のことで迦陵頻(かりょうびん)という。
 ※「めり」推量の助動詞、ラ変型活用(―/めり/めり/める/めれ/―)
  [推量]~のようである、~ように見える [婉曲]~ようである、終止形接続(ラ変は連用形接続)
 ※「しか」、過去の助動詞「き」の已然形「しか」 →前出の係助詞「こそ」(已然形止め)を受けて
 ※「歯二つ」、有名な笛の名、『枕草子』にもこの名が見られる

というようなものでございます・・・ <了>

※タイトル画「めぐりあいて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし よはの月かな」(狩野探幽筆 紫式部十二単の図 模写)ウェブより


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