【随想】共生?多様性?/辞書の意味するところ
社会のあり方として、以前は「共生」という言葉が使われていた。最近では「多様性」という言葉が使われる。たぶん同じ意味で。
しかし、どういう社会を目指すのかが議論されないため、意味が曖昧で無責任な言葉になっている。
辞書に言う、文字通りの意味は、(1)集団の中に異なる特徴、特性のあるものが一緒に存在する状態のことを「多様性」と呼び、(2)損得する関係がある場合、損得は入れ換わることも目に見えないこともあるので、損得を考えず、複数の種類の生物が相互に関係を持ちつつ同じ地域で生活する状態のことを「共生」と呼ぶ。
ここで一つの例を挙げる。
小さな村に三人のこびとが住んでいる。そこに三人のこびとがやって来て、六人で住むことになる。新しい住人が増えると、誰がどの家に住んでいるのか分からなくなるので、色分けすることに決める。
赤、黄、青と三色のペンキがある。どの色も100円。それぞれ一色を選んで家に色を塗る。どの色を選びどこにどう塗るかを問わない。それぞれ掛かる費用は100円ずつ。
これは、もともとある三色を使ったに過ぎない。六人がそれぞれの家で暮らすことに変わりないが、誰がどの家に住んでいるのか分かり易くするという目的を達成したと言えない。
つぎに、三色の色を混ぜて別の色を作る。赤と黄とを混ぜて橙、黄と青とを混ぜて緑、青と赤とを混ぜて紫を作る。これで六色揃う。赤、黄、青は100円。橙、緑、紫は手間が掛かって200円。相談してそれぞれの家に色を塗る。それぞれ掛かる費用は色によって異なる。
これは、新たな色を作ることによって区別が明確になる。六人がそれぞれの家で暮らし、誰がどの家に住んでいるのか分かり易くするという目的を達成したと言える。
単に異なるものが一緒に存在する社会で良いとするならば、この地球はすでにその状態にある。それが問題でもある。目指すは、種々雑多な存在(動植物含む)があることを知り、損得を承知の上で互いに助け合うことであろう。
ただ、これは困難が多い。異なる点が多ければ多いほど損得関係が増し、それを理解し合うだけで負担がどんどん増していく。その覚悟を決めなければ、口先だけでは成しえない理由がここにある。
まず、本来の目的がどこにあるのか、何をどうするのかを議論し智慧を出し合って、一歩一歩駒を進める努力と根気が必要と知ることではなかろうか。