【随想】「やまとことば」/ヤマト王権以後?
世の中には、古典(古文、漢文)を勉強する必要はない、三角函数を勉強して何になる、と豪語される方がいらっしゃるようで、びっくりいたしますが、何にせよ勉強しなくて良いと言い得るほどに十分幸せな方なのでございましょう。
下級武士として生き永らえました末、貧乏性(症)の身に付いておりまする我が身には、世間さまにはどうでも良きことにまだまだ学びたきこと多々ございます。
人間、勉強なるものしておりますと、本来の目的とは違うことに出っ会して思わぬ展開に予想もしなかった収穫を得たり、新たなより大きな目的を見出すことに繋がることも、まま、ございますよね(お金持ちにはなりませぬけど)。
真理とは、たった一つしかございませぬ、きっと。この宇宙の果てのどこかにたった一つ存在しているのでございましょうね(いくつもあったら、どれがより真理に近いのかとの問いが出て来てしまいますのでね)。
ひたすら真っ直ぐに進むことだけで目的地に着く保証はどこにもございませぬし、お馬ちゃんが途中で道草を喰ったとしても自然の摂理でございますし、寄り道、回り道、どのような道を選ぼうと辿り着く先に違いはないものと存じます(違いがあるとすれば、お金に置き換えたらという話になりましょうか)。
実は、改めて学問とはどうあるべきなのかと考え始めた切っ掛けになった言葉がございます。「やまとことば」とはなんぞや、ということでございます。
かの『源氏物語』にも「やまとのことのは」<第一帖『桐壺』>「やまとことば」<第五十帖『東屋』>との記述がございますので、古くからあるようでございます。しかし、何を指すのか正確な意味はよく分かりませぬけれども、意味の分からぬまま何とはなしに感覚で使ってしまうところがいかにも日本人らしうございますね。
「やまとことば」とは、辞書を引きますと「漢語と外来語とを除いた日本固有のことば」、漢字を当てれば「倭詞」「大和言葉(詞)」、「みる」「はなす」「わらう」「なく」「かく」「うみ」「やま」「さくら」などがその例として挙げられてありまして、どの辞書でも大差はございませぬ。
百科事典に拠れば、このほかに、アルタイ言語系の特徴を持つものとの説明がありますけれども、これも、どの百科事典でも大差はございませぬ。
因みに、アルタイ系言語の特徴とは
(1)SVO(主語+目的+動詞)の語順を取る
(2)語頭にラ行音の来ない
ことが挙げられ、チュルク語、モンゴル語、ツングース語がそれに属し、広義では、朝鮮語(朝鮮語、済州語)、日琉語(日本語、琉球語)、アイヌ語、ニブフ語も属するとされております。
では「やまと」とは、何を指すのでございましょうか。
同じく、辞書、事典に拠れば、五畿内(※)の一つ、今の奈良県のこと、奈良時代まで歴代の天皇の都があったことから、転じて日本国の称、漢字を当てれば「倭」「大和」「日本」とございます。
※五畿内とは、山城(京都)、大和(奈良)、河内(大阪)、和泉(大阪)、摂津(大阪兵庫)の地域のこと
序でながら「ことだま」とて、言葉そのものに一種霊妙な働きがあるという考え、古代人がその使い方によって人間の禍福を左右すると信じていた言葉の持つ力、漢字を当てれば「言霊」ということでございます。
「大和言葉」と題された書物を読みましても、大和言葉は美しいだの、言霊が秘められているだの、和の美しさを伝える感性の言葉だのと書いてあるだけで、「はい、おわり」「はい、二千円也」てなものでございますよ。
仏教が伝わって参りましたときに、この国にはこの国の神を祀る「神道(しんとう)」(日本古来の風習であって土着宗教ではない)があると主張したようなもので、漢字が伝わって参りまして、この国にはこの国独自の言葉があると主張したかったのでございましょうか。
ヤマト王権以前の言葉を知りたいところでございますね。この国が「やまと」どころか、「倭人」の住む島と云われるよりずうっと前から「ことば」があり、きっと「ことだま」も信じられていたことでしょう。その「ことば」の定義を求めても致し仕方のないことでございますので、きちんと歴史を追って、ほんの少しでも日本語の成り立ちに触れてから「やまとことば」には、だからこの点で独自の特徴があるのだ、とか教えていただきたいものでございますよ。思いますに、実は何も知らぬ言い出しっぺがいて、全然意味が分からぬまま気に留められることもなく無責任な孫引き行為が罷り通り、三角函数と同じく興味を抱いて深く意味を探ろうとしない人が多いのやもしれませぬ、ね。
あるいは、数学のような考え方をしない世界というものが別に存在するのでございましょうか。まさか、そこでは別の真理が存在するとか……