「はにわ展」と「ハニどぐ展」、どっちから見る?
10月16日(この記事の公開当日)に開幕した東京国立博物館の特別展「はにわ」(以下「はにわ展」)。そしてその二週間前、10月1日から東京国立近代美術館で始まった「ハニワと土偶の近代」(以下「ハニどぐ展」)。この二つの展示を見た感想である。
どちらも考古をテーマにした展示ではあるけれど、そのアプローチは大きく違う。
「はにわ展」は日本中のはにわの優品、各地の至宝とも呼べるはにわを一堂に集め、古墳時代のアイコンでもあるはにわの魅力を伝える特別展。東京国立博物館でのはにわ展が50年ぶりと、その力の入り様は集められたものからポップな図録、ミュージアムショップでの充実したグッズからも滲み出るものがあった。
展示はゆったりと一つ一つをじっくり見れる展示となっていて、モノを見たい人にとっては理想的な空間になっていたと思う。逆に説明は少なく、かつきちんと説明をするには資料は少ないなとも感じつつも、初めてはにわに触れる人に向けてと考えるとこれも正解だなと思いました。(トーハクが本気を出せば一つの埴輪からどれだけ喋れるか…)
一方で「ハニどぐ展」では「ハニワと土偶の近代」と銘打っていても実際のハニワや土偶は見ることはできません。ハニワや土偶をモチーフとして描いた絵画をメインとした展示で、それにプラスして当時の印刷物や当時の社会情勢、なぜこの絵画が描かれたかのバックグラウンドが解説される展示。
二つの展示はまったく違う。
「はにわ展」でのスター的な存在としての挂甲の武人埴輪は、描かれた絵画として「ハニどぐ展」でも何度も登場し、他にもいくつものはにわが二つの展示を跨いで登場する。
この二つの展示、会期も近く、駅で言えば竹橋駅と上野駅、十分に「ハシゴ」ができる。そのせいか、SNSで何度か「どちらを先に見に行くのが良いですか」と質問をされることがあった。
「はにわ展」の簡単なレポ。
二つの展示をつなぐ二つの資料
「はにわ展」では各地のお宝を堪能できるわけですが、展示の最後に見慣れないはにわが登場します。これは大正元年に作られた明治天皇の陵墓を守るはにわ(の模型、本物は伏見桃山陵)。はにわといえば古墳時代のもので、武人のはにわは先にあげた甲冑を身につけているわけですが、このはにわは平安、鎌倉時代の武者のような甲冑。それ自体も衝撃的なものですが、古墳時代の「風習」を近代に甦らせていたこともまた衝撃的。
そして、「ハニどぐ展」のメインビジュアルにもなっているこの屏風。
いくつかのハニワらしいハニワに混じってこの武者ハニワが描かれていることに気がつくだろう。
そう、「はにわ展」のラストと「ハニどぐ展」のアイコン的な作品が繋がっているのだ。
明治天皇の崩御を受け作られたハニワたちは、その社会情勢も受けている。明治天皇崩御の同日に自決を図った乃木希典の殉死はハニワの持つ殉死にも結びつき社会に浸透する。
それ以前からハニワは近代国家「日本」の形成過程において「万世一系」の象徴としての意味がつけられる(なぜかハニワの大半を占める円筒埴輪はほとんど触れられないが…)。
戦中には戦意高揚などにもハニワは利用される。次の絵は戦時中の「天佑神助」(神や天の加護)というタイトルの絵。作者はなんと蕗谷虹児。構図が神話的。
また、繰り返し「皇紀」という言葉と共にハニワは世間に宣伝される。
1940年には神武天皇即位2600年(皇紀2600年)として、国粋的な象徴としてハニワは登場する。
(明治時代は「皇紀」が日本の暦として採用されていたが、現在では「皇紀」には科学的、考古学的な根拠はなく、紀元前660年に神武天皇が存在したという話自体、神話世界の中の話であると考えられ、「皇紀」という言葉自体ほとんど使われない)
ハニワは考古学的な研究や古墳時代という時代を超えて、明治、大正、昭和初期当時の人たちの愛国心やプライドを象徴し、日本という国が拠り所にした皇国史観を象徴する存在、皇国史観の広告塔となっていたことが豊富な資料で示される。
さて、「はにわ展」と「ハニどぐ展」、どちらを先に見に行くべきかの問いは、トーハク「はにわ展」で各地の優品やかわいい埴輪を堪能した後に、近美「ハニどぐ展」で埴輪がどんなイメージで捉えられていたのかを深掘りして見るのを僕としてはおすすめしたい。
もちろんどっちが先でも自由だけど、いずれにせよセットで見るべき展示だなと。
さて土偶は?
ハニワが皇国史観の広告塔となっていた頃、土偶は何をしていたかといえば、そもそも当時は縄文時代は別民族と考えられ、「愛国」とは関係ない位置に存在した。だから戦前戦中はかなり影がうすい。「ハニどぐ展」でもこの時代はほとんどハニワがメインになる。
しかし、「ハニどぐ展」では土偶も忘れてはいけない。そして「はにわ展」→「ハニどぐ展」で問題はない。ただし、「はにわ展」の後にトーハクの常設で土偶を見てから「ハニどぐ展」に向かうのをおすすめしたい。
亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶(しゃこちゃん)は常設で見れる(たまにいない時がある)が、実は「ハニどぐ展」では、はじめてしゃこちゃんを世間に紹介した佐藤篰の実測?図が展示されている。
「ハニどぐ展」のトップを飾る蓑虫山人と佐藤篰の関係や亀ヶ岡遺跡発掘の顛末などさらに深掘りされたい方はぜひ書籍『蓑虫放浪』をお読みください。考古以前の縄文や古墳時代を取り巻く市井の空気が良くわかる。
以下のnoteで蓑虫山人の亀ヶ岡遺跡発掘の顛末と、もしかしたら…の話の紹介です。
皇国史観の広告塔となっていたハニワとあんまり表に出なかった土偶だけど、美術の世界では同じように取り上げられる。「ハニどぐ展」では、えっこの人もという人も土偶を描く。そういった作品を見るだけでも楽しい。
特に岡本太郎が弥生(や埴輪)と縄文という対立構造を作ったことは今でも影響が残っているのだけど、個人的にはそろそろ弥生と仲良くしたい。
最後に少し背筋が寒くなる話
近代のハニワが皇国史観の広告塔となってしまったことはショッキングではあったけれど、実は現在はハニワではなく「縄文時代」そのものがその考古的歴史的な研究とはほとんど関係なく、なぜか「愛国心」の拠り所になりつつある。そのためにわざわざアイヌ民族の存在を否定したり、弥生時代以降の朝鮮半島との繋がりを否定したりするので実はすごくタチが悪い。「縄文時代から続く日本の心」という得体の知れない「愛国」が迫ってきている。
また、スピリチュアルとも縄文時代は相性が良く、スピ業界からも「縄文」はかなり大きなキーワードとなっているようだ。
最後に少し背筋が寒くなる話でした。
(了)